昭和18年流産事件の真相(上)
本紙に03年6月17日から60回にわたって掲載された「戦時下の盛岡中学」で取り上げられた「ササの実事件」について、連載後日談の形で新たな寄稿があった。戦時下の昭和18年(1943年)に県内で発生した大量流産事件。あまり表ざたにならなかったこの事件について、当時盛中同期生だった産婦人科医と元農業試験場研究員が専門的な見地から証言を寄せた。
元のコラムとあわせ、2回に分けて紹介する。
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■ササに黄金が…(再掲)
「白亜校百年史」の420ページ「熊笹採集」の中で「熊笹が実をつけることは珍しいことであり、外山牧場付近の長坂部落では実に47年ぶりのことで…中略…鈴木県知事の号令のもと、わずか数日間の採集時期を目指し中学校生総出動となった」とある。
盛岡中学は期末試験の最中だったが、1日だけで動員令発令となり、残りの試験は延期された。
熊笹(クマザサ)の実採取には17日と19日の両日出動。最初の出動前日のこと、新田校長は生徒に対し、食糧を少しでも多く確保することの大切さを強調し「天与の補正食糧」と話された。
この年は雨が少なく、干ばつが心配されていた。そして笹の実が実るのは飢饉の前兆とも伝えられていたが、校長は「干ばつに不作なし」などと諄々(じゅんじゅん)と話された。
当日は好天で、区界峠の手前、大志田駅で下車してから土ぼこりの舞う道を黙々と歩き、汗とほこりで真っ黒になったころ、道路周辺にふさふさと実っているのを示され、採取の指示が出た。
道から1歩入ると一面、90センチぐらいの背丈の笹やぶで、2、3歩入ったらザラザラ音がする。よく見ると小麦そっくりの実がこぼれ落ちる音ではないか。笹の葉の間に稲穂をまばらにしたような茎が実をつけていて、ちょっと触れただけでこぼれる。採集用の道具は持参しなかったから、渡された袋に手で入れた。
とは言ってもこぼれるほうが多いから手に残りにくい。周りを見ると誰もが同じに苦戦している。中にはつばの広い帽子を受け皿にしている者もいた。わたしもまねをして制帽を使ってみたら少しはうまくいった。
おそらく実った量の3割くらいしか収穫できなかったのではあるまいか。
2回目はそれでも少しは慣れたので能率はあがったようだ。採取した実は麻袋に集められ岩手食糧営団と書かれたトラックに積み込まれた。
何日か経って、「笹の実パン」なるものが配給された。色は茶色でライ麦パンのようなパサパサしたもので1個10グラムほどの扁平なのが2個で、あまりうまいものではなかったが、空腹を一時やわらげてはくれた。
昭和18年に、盛岡を中心にした地域で流産が非常に高率で発生した。その原因を調べるうち、流産した人に共通していたのは、あの笹の実パンを食べた妊婦という点だというのだ。
そこであの笹の実を分析したところ、麦角菌に汚染されていた。ライ麦に麦角のあることは知られていたが、笹の実にも出ることは知られていなかったろうか。
笹の実によってネズミが大発生し、そのネズミが田畑を荒らし、飢饉を一層ひどくしたという話は本で読んだことがある。
「…笹に黄金が成り下がる」は小原庄助さんで知られるし、成り下がった笹の実が飢饉を救ったことも記憶にあるが、南部藩の記録ではどうだろうか。何十年に一度、それも凶作の年に実るという笹の実に、麦角菌はいつの時代から入り込んだのだろう。
同窓には科学者や産婦人科医もいられるはず。ご教示いただきたいものだ。
麦角とはライ麦に寄生する麦角菌の菌核。アルカロイドで子宮収縮剤として用いる。(高崎市在住・阿部功)
■バッカク(麦角)
ロシア、アイルランドなどの北ヨーロッパで、主食のパン(黒パン)の原料であるライ麦(裸麦)の収穫後の穂に、病的にかたまりができることがあり、これがツノの生えたように見えることから、「麦角」と言われた。
この麦角が生ずると、穂はやがて黒くなりいわゆる黒穂状になる。そしてこの麦角の混じった粉で作ったパンを食べると伝染病的な中毒症状を呈し、嘔吐、下痢、腹痛、四肢の壊死なども起こすが、特に妊婦が流産をきたすということは大昔から知られていた。
その後の知識として、これは植物の穂に、真菌(カビ)の一種のバッカク菌が寄生し、その中に生ずるアルカロイド(含窒素塩基性化合物)が災いしていることが分かった。
分析の結果は、そのアルカロイドはエルゴトキシン、エルゴタミン、エルゴメトリンが主な有効成分である。
人体の筋肉は、心筋、骨格筋(横紋筋)、内臓や子宮や血管壁に分布する平滑筋とから成っているが、エルゴメトリンは、この平滑筋、中でも子宮筋を強く収縮させる作用があり、特に妊娠子宮に選択的に働くことが解った。このため、麦角中毒で流産となるわけである。
お産のとき、異常出血することがあるが、赤ちゃんが生まれた後、つまり分娩第V期の大出血は、子宮筋の収縮不全の為が多いというわけで、エルゴメトリンが特効的に効くことから、現在では分娩直後、原則的にエルゴメトリン製剤を注射している。
この麦角の「薬効」を利用し、かつては陣痛微弱の治療にも用いられたが、これは危険なことである。そのころは麦角アルカロイドの成分は純化されず、効果は不安定で調節が難しく、現在は陣痛促進や分娩第T.U期には使われない。
妊娠子宮特に満期ごろのそれは、子宮筋は伸びきっているし、中に赤ん坊を抱えているから、無理に筋肉を収縮させれば、子宮破裂や胎児死亡をきたす。
産科医になると、このあたりの知識からたたき込まれるわけである。
イネ科の植物−−大麦などには麦角菌が寄生するから、日本でもバッカク中毒症はあり得るが、詳しくは知らない。
ササ(笹)については、岩波書店の生物学辞典(1960年版)の、バッカクの項に、バッカク菌の寄生する植物として確かにムギ−キツネガヤ、ササと書かれている。(宮古在住、産婦人科医・道又卓) |