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■負け試合の応援
印象に残っているのはやはり全校応援を強いられた野球、ラグビー、柔道の試合だろうか。
野球では何と言っても市営球場における対盛岡商戦の敗戦。負け試合のあとは出欠を取り、長々説教されるのが習わしであり、あの時は住吉神社の境内、玉砂利の上に座らされての説教は暗くなるまで続いた。
心配した親たちが何人かちょうちんを下げて迎えにきていたが、じっと終わりを待っていたものだった。
敗戦の責任はいつも、下級生の応援の弱さのせいにされるのは悔しかった。
ラグビーも何回か上田の「医専グラウンド」で、岩手中学や岩手医専との試合を応援したが、一度も勝った試合を応援した記憶がない。
だからいつも厳しく出欠を取られた。
しかし柔道は、県下で優勝したこともあり、そのほかライバル岩手中学との一戦はいつも楽しみで、応援のしがいもあり、印象深い。両軍の選手の名前もみんなよく覚えていた。盛中は荒谷、前野、飯田、小川、矢羽々といった諸先輩、岩中のほうも赤坂、佐藤、山瀬といった方々の名前が記憶にある。
■応援歌練習
入学後、上級生の怖さ、すごさをまず見せつけられるのが応援歌練習であり、西控え所に集められ、時には正座でめい目させられ、説教されるのだが、5年生の中にはカンシャク玉など持ち込み、いきなり床に打ち付けて爆発させ、びっくり跳び上がったすると「こりゃ、なすて動いだあ!」などと怒鳴る。
理不尽な、と思うのだが、こうもはっきりめちゃくちゃだと、その無法を滑稽と受け止めて許してしまった気がする。
も一つその例として、わたしが1年丁組で一緒だったF君、みんなと一緒に正座していたら、5年生の一人が寄ってきて、F君の名札を見て言った。
「おう、んな(お前)、…○○子の弟か。そうが、んなのあねっこ、シャンだものな。」F「はあ?」「シャンだでア」「は…」「んだがらよ、んな、もは、けえれ(帰れ)」
…キョトンとしたF君、けげんな顔のまま帰宅したものだ。
F君の姉はスポーツでも有名、美人としても有名で、校内のあちこちに彼女の名前が落書きしてあったものだ。しかし、姉が美人だからと、弟が応援歌練習免除とは、こんな話が堂々とまかり通る、恐ろしいなどと言うなかれ。
わたしは全く腹が立たなかった。不思議に。
そして、卒業後何十年もしてから、同期会の最後の場面、校歌、応援歌を斉唱する段になった時、ほとんどそれを歌えなかったのがF君。
60年前の練習免除のツケ、とご本人も認めていたし、これはこれで、ほほえましい話題に組み込まれているのだ。
■ウラー盛中!
わが盛岡中学には独特の雄たけびがあった。
最近はめったにお耳にかかれないが、応援といえば大概、「フレー、フレー」というかけ声だか雄たけびだかが用いられる。ところが盛中ではこのほかに「ウラー、ウラー、ウラー盛中」というのがあった。
なんでも、ウラーというのはロシヤ語で、日本で言うなら万歳に当たるのだそうだ。おそらく日露戦争で仕入れたものがその後ずっと昭和20年近くまで残っていたものだろうか。そして、消え去ったのはいつごろだったのだろうか。(佐藤洸)
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