戦時下の盛岡中学   22    増田眞郎(昭和20年卒業生)

 新たな滑空機が到着

  (鶯宿での合宿滑空訓練)
  8月26日 午前は雨で中止。午後、地上滑走1回ずつ。
  8月27日 4時起床、7時まで早朝訓練、全員1回搭乗。昼まで休養。午後は1時より5時半まで訓練。3回搭乗。1メートルくらいの高度をとってから接地動作をする訓練であった。

  8月28日 午前8時から11時までと、午後2時から5時半まで訓練を行った。全員3回搭乗。午後は風が強かったので、夕方になってやっと飛ぶことができた。

  8月29日 午前7時半から11時まで、また午後3時から6時まで訓練。午前2回、午後2回の搭乗。高度は4メートル以上となる。夕方座席下を破損。失速気味に慌てて機首を下げ、接地動作に失敗した者があったため。

  8月30日 機体修理。他の機体を借りて一度だけ地上滑走。
  8月31日 午前中に宿舎を出て、午後1時頃帰盛。
 
  9月に入って、学校で11・15・17・18の4日間、分解・組み立ての練習を、鵬を使って行った。一度だけは盛岡工業に出向いて、文部省一型の機体を借りて、分解・組み立てを行っている。

  19日から、再び鶯宿に行く。盛中でも、鵬とは別に文部省一型を1機購入し、それは学校宛にではなく、鶯宿の訓練所に直送された。自分の学校の機体のため、皆思う存分練習ができた。宿所は前回と同じで、再びすしづめの生活であった。

  9月19日 5時10分盛岡駅発。午前中は新しい盛中の滑空機の荷を解き、組み立てて調整。桐野教官が試乗。午後全員が1回搭乗する。

  9月20日 7時半出発。午前中は2回搭乗し、第1回は高度3メートル、第2回は一挙に最高高度(約8メートル)まで上がって、滞空時間をのばす練習。午後も昼食後すぐに出かけて2回搭乗する。皆疲れて元気がなく、失速気味の者が多かった。また横風があって、機体の傾斜の修正が難しかった。夕方、ついに機体の一部を破損する。

  9月21日 終日、機体修理を行った。のみや鉋を使って、加藤先生の指導のもとに行った。大会の日が迫ってきたので、異例の措置ではあるが、明日以降の練習では、大会の際に搭乗する10名のみに搭乗してもらい、残りの11名はゴム索曳行のみを行うようにしよう、という案が、夜加藤先生から出され、皆これを了承した。そして、10名の搭乗者が選ばれた。加藤先生が協力を願う形で案を出されたのが、命令されることにのみ慣れていた当時の生徒たちには印象的であった。

  9月22日 9時半、機体が元通りとなり、組み立て・調整ののち、教官が試乗。その後夕方まで、10人の搭乗者が3回飛ぶ。1・2年生の班員がやってきて合流。彼らは訓練の見学。

  9月23日 午前2回、午後2回搭乗する。
  9月24日 この日も搭乗者は午前2回、午後2回搭乗する。無風であった。
  9月25日 参加校に訓練所使用時間が割り当てられる。盛中は正午より4時までとなり、午前中は機体修理をした。午後は3回搭乗。学校長と教官が訓練を視察。 (つづく)


  ■コラム「報国団誌『文苑』から」

 「文苑」は4編あり、その一つが農園作業の様子を書いた(2年時)同期の鳥生敬郎君の作品。旧仮名遣いのまま全文紹介しよう。
 
  豆を引く
    2年 鳥生敬郎
  「オー、今日の作業なんだっけな」
  「今日は豆の収穫だと」
  「ハハーそこで縄一本づつ持ってこってそったんだな」

   或る秋晴れの午後、僕等は上田の大路をこのやうな言葉を交しながら報国作業園に向って歩いてゐた。やがて目指す作業園に到着した。見渡せば、眼前に展開される畑には、我々の育てた大豆が、その黒々とした秋の稔りを一面に横たへてゐた。


  「各自一抱へづつ豆を引け」
と言ふ号令で僕等は一斉に片っ端から豆を引き始めた。一本、二本と抜く中に、時折根が固くてなかなか抜けないのがある。両手両足に一ぱいに力をこめて引くと、思ひがけずすっぽりと抜けて、力余ってどしんと尻餅をつく。そのはづみに根についてゐた土を、傍に居た友達の顔にはねかけて、苦情を言はれたりする。
  かうして晴々しい秋の日差しを受けながら楽しく作業が出来るのも、南の又北の戦場に御活躍なされてゐる先輩諸兄の御蔭と思へば、一本一本抜いて行く我等の手にも感謝の力がこもる。
  やがて、小脇一ぱいになった豆を、各自の持参した縄にからげて、畑の中央にある広い道に整列した。

  「出発!」
  僕等は大豆がなくなって何だか物足りなくなった畑を後にして帰途についた。
  春から夏…秋…と凡そ半年にわたる我等の勤労の結果、今一枝々々の豆となって我等の手に溢れてゐるのだ。

  かう考へて来ると、此等の豆に、何とはなしに一種の親しみをさへ感じて来る。
  「おいおい、お前たち、豆を落しながら歩いてはだめだぞ。」
  とO先生が自転車に乗って過ぎて行かれる。

  道端で遊んでゐた子供が物珍しさうに、豆をかついだ中学生の行列を見送っている。
  だんだん腕が疲れて来る頃、僕等の目の前には、はや学校の正門が近づいて来る。

  「歩調取れ」
  週番の號令で僕等は歩調を取りながら、意気も溌剌と御真影奉安庫の前を進んで行った。

  ◇  ◇
  「部活動報告」
  柔道部…昭和17年6月25日、2、3年生の、岩中、盛商、盛中3校のリーグ戦あり、われらの2年組は、武田、国枝、鈴木、八角、鳴海、太田、三浦の諸君出場。1勝1敗で2位。神宮大会県予選で飯田、荒谷、小川の諸先輩が岩手中学(藤澤、佐藤、赤坂)に勝って優勝。荒谷さん神宮大会出場。
  弓道部…明治節奉祝大会に、同期から村田篤胤、加藤敏昭、千田諄の諸君出場。
  体操部…同期では伊藤平一君活躍。
  陸上部…神宮大会で金子先輩400メートル2位。
  弁論部…西控所での校内大会で、わが2年生は最多の6名、大矢良孝、鈴木辰三、笹川敬介、小田久雄、二宮星郎、向口啓三の諸君が出場し、大矢君2位入賞。

  −以上主としてわたしたち同期にかかわる部分のみ紹介した。(資料提供・一ノ渡義巳、記述・佐藤洸) 


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