戦時下の盛岡中学   25    増田眞郎(昭和20年卒業生)

創立記念日に体育大会

  5月13日の創立記念日には、記念式と記念体育大会が行われた。1年生のときは、それ以前からの名残りがあり、楽しい1日であったが、すでに1年生の競技種目に、騎兵突撃という名の競技があった。ただし内容は覚えていない。

  3年生(昭和18年)のときには、行軍競争という競技があり、学校と上の橋の往復4キロを完全武装で走るものであった。障害物競争にも、城壁を越える障害が作られていた。

  4年生(昭和19年)のときには,体育大会は行われず、記念式典のあと、全校行軍が行われている。これを戦時下にふさわしい行事とわたしは受け止めていた。

  創立記念日の数日前には、体操大会が行われている。これがどういういわれで行われたものなのかは知らない。これはすべて日曜日に行われていた。すなわち、昭和16年5月11日・昭和17年5月10日・昭和18年5月9日である。昭和19年には行われていない。

  10月8日は、盛中の行幸記念日で授業はなかった。4年生(昭和19年)のときは平塚にたったあとなので、それ以前を記すと次の通りである。式は校庭の聖蹟記念碑の前で行われた。

  1年生(昭和16年)
   記念式。
  2年生(昭和17年)
   記念式・護国神社参拝。
  3年生(昭和18年)
   記念式・西控所にてア
  ッツ島および南方戦線で
  戦死された9柱の先輩の
  英霊の合同慰霊祭。
 
  毎年1月には、武道の寒稽古が行われた。
   武道寒稽古出席者心得
  寒稽古ノ目的ハ堅忍持久ノ精神・体力ノ養成ト、規律節制ノ訓練ニアリ。故ニ特ニ  左記事項ヲ厳守スベシ。

  一、寒稽古出席者ハ特別ニ許可サレタル者以外ハ、必ズ定メラレタル時間割ヲ厳守    スルコト。
  二、礼儀作法ヲ絶対ニ妄サザルコト。
  三、道場内ノ武道具等ハ特ニ整理整頓スルコト。
  四、脱衣ハ教室ニオイテナシ、貴重品ノ始末ニ注意スルコト。
  五、出席ノ際ハ毎回本票ヲ提出シテ、捺印ヲ受クルコト。
                         盛岡中学校
  これが昭和16年度武道寒稽古出席票裏面の記載事項である。(つづく)


  ■コラム「ササに黄金が…」

 「白亜校百年史」の420ページ「熊笹採集」の中で「熊笹が実をつけることは珍しいことであり、外山牧場付近の長坂部落では実に47年ぶりのことで…中略…鈴木県知事の号令のもと、わずか数日間の採集時期を目指し中学校生総出動となった」とある。

  盛岡中学は期末試験の最中だったが、1日だけで動員令発令となり、残りの試験は延期された。

  熊笹の実採取には昭和18年7月17日と19日の両日出動。
  最初の出動前日のこと、新田校長は生徒に対し、食糧を少しでも多く確保することの大切さを強調し「天与の補正食糧」と話された。
  この年は雨が少なく、干ばつが心配されていた。そして笹の実が実るのは飢饉の前兆とも伝えられていたが、校長は「干ばつに不作なし」などと諄々(じゅんじゅん)と話された。

  当日は好天で、区界峠の手前、大志田駅で下車してから土ぼこりの舞う道を黙々と歩き、汗とほこりで真っ黒になったころ、道路周辺にふさふさと実っているのを示され、採取の指示が出た。

  道から一歩入ると一面、90センチぐらいの背丈の笹やぶで、二、三歩入ったらザラザラ音がする。よく見ると小麦そっくりの実がこぼれ落ちる音ではないか。笹の葉の間に稲穂をまばらにしたような茎が実をつけていて、ちょっと触れただけでこぼれる。採集用の道具は持参しなかったから、渡された袋に手で入れた。

  とは言ってもこぼれるほうが多いから手に残りにくい。周りを見ると誰もが同じに苦戦している。中にはつばの広い帽子を受け皿にしている者もいた。わたしもまねをして制帽を使ってみたら少しはうまくいった。

  おそらく実った量の3割くらいしか収穫できなかったのではあるまいか。

  2回目はそれでも少しは慣れたので能率はあがったようだ。採取した実は麻袋に集められ岩手食糧営団と書かれたトラックに積み込まれた。

  何日か経って、「笹の実パン」なるものが配給された。色は茶色でライ麦パンのようなパサパサしたもので、1個10グラムほどの扁平なのが2個で、余りうまいものではなかったが、空腹を一時やわらげてはくれた。

  昭和18年に、盛岡を中心にした地域で、流産が非常に高率で発生した。その原因を調べるうち、流産した人に共通していたのは、あの笹の実パンを食べた妊婦という点だというのだ。

  そこであの笹の実を分析したところ、麦角菌に汚染されていた。ライ麦に麦角のあることは知られていたが、笹の実にも出ることは知られていなかったろうか。

  笹の実によってネズミが大発生し、そのネズミが田畑を荒らし、飢饉を一層ひどくしたという話は本で読んだことがある。

  「…笹に黄金が成り下がる」は小原庄助さんで知られるし、成り下がった笹の実が飢饉を救ったことも記憶にあるが、南部藩の記録ではどうだろうか。何十年に一度、それも凶作の年に実るという笹の実に、麦角菌はいつの時代から入り込んだのだろう。

  同窓には科学者や産婦人科医もおられるはず。ご教示いただきたいものだ。
  麦角とはライ麦に寄生する麦角菌の菌核。アルカロイドで子宮収縮剤として用いる。(阿部功)
 


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