戦時下の盛岡中学   26    増田眞郎(昭和20年卒業生)

手榴弾投擲(とうてき)もあった体力章検定

  寒稽古が終わると、納会として全校武道大会があり、皆勤者に褒状が授与された。各年度の寒稽古の期間と納会の日は次の通りである。

 
  昭和16年度
  (1・11〜20)2・11
  昭和17年度
  (1・13〜19)1・19
  昭和18年度
  (1・5〜10)1・21
 
  種目は剣道・柔道であったが、18年度には銃剣道が追加された。寒い教室ではだかになって稽古着に着がえるのが大変につらかったので、その必要のない銃剣道を希望する者もいた。

     
   
     



  寒稽古が何時に始まったかは記録していないので不明であるが、多分朝六時半からであったろうか。市内の者は、寒稽古に出たあといったん帰宅し、朝食ののち再び登校した。寒稽古中の学校の始業時間は8時45分で、9時授業開始、3時間目が終わって昼食であった。ただし、昭和18年度の寒稽古は、3学期開始前の冬季鍛練期間中に行われている。

  当時、青少年の体力向上のため、国が体力検定を行い、基準に達すると、上級・中級・初級の体力章(襟章)が与えられた。したがって、これを体力章検定といった。

  検定は学校が代行した。体力章検定の受験資格は年齢・学年のいずれであったか知らないが、わたしたちは3年生のとき、昭和18年11月に初めてそれを受けた。

  100メートル走・2千メートル走・幅跳び・土嚢運搬・懸垂・手榴弾投擲(とうてき)の6種目が検定種目で、全種目が初級以上であるときに初級と認定するという総合判定制がとられていた。

  昭和19年には動員中であったため、検定は行われなかった。(昭和19年6月17日に、級対抗体力章検定種目競技大会が学校で催されている。各級より15名の選手を出して競われたが、全校行事であったか、高学年対象であったかは分からない。)

  別項で記した薬草採集も年中行事の一つに数えられるかもしれない。

  しかしもっと楽しい行事に、全校で行う兎狩りがあった。これは2年生(昭和17年)のとき、3年生(昭和18年)のときの、ともに12月22日に行われている。17年には、校庭で分列行進をしたあと、観武ケ原に行っている。大きな包囲の輪を作り、合図とともにその輪を縮めていくのであった。

  17年にはウサギ11羽・キジ1羽・リス1匹、18年にはウサギ8羽が収穫であった。18年のときは、すごい強風で身体が吹きとばされるようであったが、大変に楽しかった。


  とったウサギの肉が昼のみそ汁の中に入っているという話が広まったが、見当たらなかった。真相は分からない。とったウサギをどうしたのか、とにかく、とっているときは愉快であったが、殺された兎を見ると、かわいそうであった。 (つづく)


  ■コラム

 ■体操大会の記憶
     
  増田氏の「四星霜」によれば、わが同期にとって最初の体操大会は昭和16年5月10日(日曜日)…その前日は忘れもしない対盛岡商野球4対7の敗戦で、住吉神社境内に正座させられ暗くなるまで説教された日…。そして2回目が翌17年5月10日である。

  わたしの記憶はこの2回だけ鮮烈だ。
  年に1回、盛中の校庭に市内すべての中等学校が集まって、集団体操の演技を披露するという貴重なイベントだった。

  記憶にしっかり残るのはやはりブルマー姿の女学生による華やかにかつ力強い演技だった。その前に、校門を隊列組んで堂々と通ってくるたくましいお姉様方の勇姿。ポカンと口開けて眺めたものだ。

  そこで事件は発生した。その校門から校庭に抜ける途中に、水を新しく入れたばかりのプールがあり、そこを女学生が通りかかったのに合わせてザンブと飛び込んだのが、水泳部の5年生Iさん。
  あとで聞いた「伝説」では、「ノーふん(ふんどし)で泳いだず」「それもバック(背泳)でさあ」「うん、まるで潜望鏡出した潜水艦だ」「けっけっけ」(笑い声)。

  まさか、とは思う。でもあの人なら、とも思ったものだ。(佐藤洸)

 ■BCGを試される
       
  「四星霜」によると、わたしたちが校医だった日赤病院の小沢先生のご指導のもと、結核撲滅に大いに役立つとされるBCGの接種を、中学生として県下では初めて試されたのが、昭和17年6月22日(月)のことだった。
  その前に、6月12日、全校対象のツベルクリン反応検査があり、多くの陰性、および擬陽性の者(半数近い449人)が、BCGなるものを初めて接種されたのである。筆者もその1人であった。
  このことは「百年史」にも詳しく記されている。そしてこの効果が実証されたという記事が新聞に出たのは、4カ月後の10月20日のことで、いわばわれら盛中生は名誉(?)のモルモットだったと言える。
  もちろん実施に当たっては、小沢先生のご説明があり、父母に対しては承諾を得たものであった。
  なお接種のあと潰瘍の出た者あり、わたしもその一人だったが、右の上腕に直径1センチ半ほどのぐしゃぐしゃが生じ、それを日赤病院の外科で切除してもらったのだった。
  そのときのこと、乳がんを切除したらしい婦人の胸をかいま見てしまったわたしは、何とも複雑な身震いを感じた記憶がある。
  なお接種直後の6月25日、2年生は飯岡山への遠足(行軍)を実施している。(佐藤洸) 


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