戦時下の盛岡中学   3    増田眞郎(昭和20年卒業生)


在籍者数と組編成 

 在学中の在籍者数と組の呼称及び組編成の変遷は、次の通りである。

 学年 学期 在籍者数 組の呼称と組編成

 ▽1年(1学期203人、2学期194人、3学期190人)甲・乙・丙・丁組の4組編成

 ▽2年(1学期190人、2学期191人、3学期189人)甲・乙・丙・丁組の4組編成

 ▽3年(1学期163人、2学期、3学期173人)1・2・3・4組の4組編成

 ▽4年(1学期166人、卒業時164人)1・2・3組の3組編成
 

 この数字は、各学期末に渡された通信簿に記載されているものである。

 2年生までの組編成は、それ以前の慣習通り、甲・乙・丙・丁組の4組編成で、襟章にはそれぞれA・B・C・Dを用いた。組分けの方法は、特に生徒に明示されていたわけではないが、前年度末の成績順位順に、甲・乙・丙・丁・丁・丙・乙・甲…と組分けされたという。

 入学試験に学科試験が無かったので、1年生の組分けは、入学式の翌日行われた組編成の学科試験の順位によったものであろう。

 3年生(昭和18年度)から、組の呼称が変わり、1・2・3・4組と呼ぶことになったが、襟章や組分けの方法は前と同じであった。特に、2学期が終わった時点で、1組の者は2・3・4組に振り分けられ、3学期は3組編成で授業が行われた。

 しかし、通信簿の学級担任印は3学期末も前のまま1組の担任印が押されているので、これはあくまでも授業実施上の応急措置であったのだろう。当時すでに先生の数が戦争の影響で減ってきていたから、それが原因であろうと思われる。

 2年生までの通信簿には、席次(順位)および平均点の記載があり、教科の成績は甲・乙・丙・丁で表示された。3年生からは席次の数字記載が無くなって段階表示となり、平均点も記載されず、教科の成績は優・良・可・不可で表示されるようになった。

 したがって、4年生の組編成がどういう方法で行われたかは、生徒側から判断する資料がない。しかしそれ以前にあった進路別編成でなかったことは事実で、多分3年生までの方法が踏襲されたのであろう。

 4年生は1・2・3組の3組編成であった。2学期からは動員で学校を離れたため、2学期末の在籍者数に関する記録が手元にない。

 入学時と卒業時で2割の人員減になっているのは、途中でこの程度の者が軍関係に転じていったことを示している。陸士・海兵・海機等の入校者は、入校が卒業の直前であったので正規卒業者として扱われ、卒業者の中に含まれている。したがって、軍関係とは、少数の陸軍幼年学校入校者を除くと、海軍甲種飛行予科練習生(予科練)や陸軍特別幹部候補生(特幹)を意味している。

  各組ごとに生徒に番号がふられていたが、それを1席・2席…のように呼んでいた。1年生のときは身長の高い方からの順であったが、2・3年生のときは1席が級長・2席が副級長で、3席からが身長の順であった。これはそれ以前からの慣習に従ったものであろう。4年生のときは、再び身長順に1席から始めて番号がふられた。

 2・3年生のときは、級長・副級長は教室の一番後部の両端に座席が定められ、それ以外の者は横方向かつ順次後方から前方に、番号順に座席が定められていた。

  級長・副級長は1年生の2学期始めに任命され、以後各学年始めにその年度の者が任命 された。そして、それぞれに金、銀色の桜の花をかたどった襟章が渡され、年度末にそれを返還することになっていた。 (つづく)


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