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その名は盛中報国隊
「平塚市西海岸日航住宅盛中報国隊第二中隊」
これがわたしたちに与えられた住所である。第一中隊は、1級上の5年生である。宿舎は今様にいえば、木造3Kの平屋建てからなる団地であった。
各戸は、大体6畳2間、4畳半、台所、便所からなり、敷地はゆとりがあった。海岸に近いため土地は砂地で、隣家との境界らしいものは特になかった。
この団地は、元来平塚市が市営住宅として建てたものを、日本国際航空が借りるかどうかして、動員学徒の宿舎にあてていたらしい。ずいぶん大きな団地であった。一般の人々も入っていたが、わたしたちのほか、先着の5年生はもとより、盛岡商業など他校の生徒もここにいた。宮城県の角田中学、山形県の新庄中学の生徒も、同じ工場に動員されて働いていたから、この団地のどこかを宿舎にしていたに違いない。
宿舎はまた花水寮ともよばれていた。これは日本国際航空がつけた名前であろう。
わたしたち4年生は、その東北隅の一群の家々に入ったが、何戸に分宿したかは記録していない。時により変動はあったが、1戸につき6名から8名が入っていたように思う。なお1戸は職員室として、先生方の宿舎になっていた。
各戸とも台所は土間のままで、屋内で使用できる火気は無かったし、冬でも暖房用を含めて火気の使用は一切禁止された。電気ヒーターなども当時は無かった。一応、備品として布団は簡単なものがあったが、自分の家から布団は持ってきていた。
到着してからの数日は、雨でぬれた荷物や布団を乾かすのに手間がかかった。
工場での生活は、10月8日の入所式から始まった。10日に仕事の割当が決まり、われわれ4年生は、キ八四のプロペラはねの製作工場に配置された。そこは第一工作係とよばれていた。
プロペラはねの製作は、ジュラルミンをはねの概形に成形・焼入れした素材の加工であった。工程の解説を、見習い期間中の10月13日に聞いているが、その概要をその後の見聞をもとにしてしるすと、次のようである。
初めの工程は芯出しとけがきである。根元と先端を切り落としてセンターを決め、根元を旋盤で円柱状に加工する。次いではねの前・後縁の面取りをして、翼面を削るための型ゲージを当てる位置をけがく。
次の工程は翼面の切削で、その初めは荒削りである。荒削り段階の削りしろは5ミリ程度であったと記憶している。荒削りを終えたプロペラは、再び旋盤にかけられ、ねじ切り等将来プロペラの殻にはめ込むはねの根元部分の加工が行われ、再び中間仕上げとよばれる切削の第二工程にまわされる。切削工程がこれで終わりであったか、もう一工程あったかは定かでないが、とに角カッターによって到達できる最終的な精度までの切削が行われる。
切削工程を終えたはねは、幅取りという工程で、はねの前・後縁の仕上げを行い、次にやすり仕上げの工程にまわされて、そこではねの全面が仕上げられる。
次いでバランスという工程で、平衡器にかけて、はねの目方やバランスが測定され、調整される。目方は根元にあけてある穴を深くしたり、逆に鉛をつめたりして、基準値に合わせられる。
その後、研磨・塗装・再びバランスの工程を経て、1枚のはねが完成する。
このようにして作られたはね4枚と、別棟の工場で作られているプロペラの殻の部分とを組み合わせて、4枚はねのプロペラができあがる。
組み立てられたプロペラは、試運転場において実際に発動機に装着されて、回転検査が行われ、合格して初めて完成品となる。 (つづく)
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