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翼面の切削は手仕事で
わたしたちの大部分は切削の工程に回され、一部の者が芯出し・やすり仕上げ・バランスに回った。
翼面の切削には工作機械が全く使われず、電動鉋と人力に頼る手仕事であった。電動鉋をラボーと呼んでいたので、切削工程で働くことになった班をラボー班といった。
ラボーは、フライス盤のカッターと同様のカッター(直径8センチ・厚さ6センチくらいの歯車状)が、内部で回転できるように装着される角柱状の簡単な金属製の鉋で、底面は通常の木工鉋のような外観をもち、スリットからカッターの歯が出ていた。後端は閉じて上部に把手があり、また先端には、上部を蝶番で固定しただけの薄板が前ぶたとしてついており、これで切り屑が前方に飛び散るのを防いでいた。
加工されるはねは、粗末な木製の作業台にのせられ、根元をごく簡単に固定し、先端には木の枕を置いた。
各作業台のそばには、150〜160センチの高さの簡単な三脚状の支持台があって、その上にモーターがのせてあり、これをラボーの動力に使用した。
すなわち、モーターとラボーを金属製の蛇腹で結合し、中にフレキシブル・シャフトを通して、モーターの回転軸とカッターの回転軸をそれで直結して、モーターの回転をラボーのカッターに伝える仕組みであった。
荒削り・中間仕上げ等に対する道具の差異は、カッターの歯の細かさだけで、ラボー自身に違いはなかった。しかし荒削りに使用しているラボーはガタが多く、中間仕上げ等には、その目的だけに使われてきた精度のよいラボーが用いられた。
プロペラ翼面のうち、プロペラを装着した際発動機側となる面を腹、反対の面を背といった。型ゲージは背と腹各1枚の2枚が1組で翼断面がくり抜かれており、根元から先端に向けて、ゲージには1、2、3、・・・の数字が振られて、「腹の三」、「背の七」のような呼び名が使われていた。荒削り用の型ゲージは木製で、中間仕上げ用のものは金属製であった。
切削、特に荒削りは重労働であった。素材は結構重かったが、素材置場から作業台まで手でそれを運んで、台上に固定する。切削によって切削面は熱をもつので、常にグリースを塗っておく。
作業台を右側にして立ち、左手でラボーと蛇腹の結合部分を持ち、右手でラボーの把手を握る。そして左足を前に踏み出して腰を入れ、全身の力をこめてラボーで翼面を削る。力の入れ方が不足であれば、削れないどころか、ラボーがはね返ってくるので危険である。はね返ったラボーのカッターが衣服をかみ込むと大変である。
とにかく、このような手仕事で、量産が必要であった日本陸軍の最新鋭の戦闘機のプロペラが作られているのは驚きであった。
当時わたしが持っていた航空機関係の書物に、金属製のプロペラのアメリカにおける製造工程の写真が載っており、いろいろのならい切削盤を使ってプロペラのはねが削られることを知っていた。
したがって、プロペラを作るのであれば、あのような工作機械を操作できるのだとひそかに楽しみにしていたのに、模型飛行機のプロペラを木片から切り出し小刀で削って作るのと本質的に変りない実情は、批判眼をもたないように育てられてきたわたしにとっても、何とも不思議であった。
現在入手できる書物によると、この工場は当時日本において最も高性能のプロペラを生産していたとのことであるが、それはむしろ殻の中の機構に関することであろう。工作技術の立ちおくれはひどいものであった。
自分たちが退避する防空壕は自分たちで掘れということか、初めの見習い期間は、作業見習いに過ごしたよりも、防空壕掘りに費やした時間の方が多かった。
それは工場から少し離れた住宅地の道路を掘って作られた。敵機の襲来が多くなりつつあった11月半ば過ぎになって、工場からもっと離れた広場に再び防空壕を作り直し、それ以降はそちらに退避することが多かった。(つづく)
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