戦時下の盛岡中学   5    増田眞郎(昭和20年卒業生)

次第に教師に欠員 授業のできない科目も

 わたしたちが4年間に学習した教科・科目名は次表の通りである。

太平洋戦争は1年生の2学期末に始まっているので、1年生のときは太平洋戦争の影響をほとんど受けていないといえる。先生の欠員もなかったであろうし、学校内はそれ以前からの盛中らしい雰囲気をもっていた。

 2年生になっても授業科目の種類にそれほど変化は見られなかったが、数学の先生の欠員が生じ、4月いっぱい数学の授業が全く無かった。5月に入って少しずつ増え、6月から週4時間となった。先生の欠乏が生徒からみても目立ち始め、特に3年生以降では、物象の時間の欠けることが多かった。

 2年生・3年生のときの教科別の時間割上の週配当時間は次表の通りである。定められた授業時間割に対するその日ごとの時間割変更は、先生方の都合である程度はあったが、4年生になると変更が顕著で、結果的にはほとんど一定の時間割がないと極言できる状態になっている。

 3年生の1学期(4・1〜7・29)および4年生の1学期(4・1〜7・19)の登校日数と授業日数とを比べてみると、次の表のようになる。

 4年生の1学期には、日曜日15日のうち8日が登校日となっており、そのうち3日は授業(午前中)、1日は学期末試験日であった。これは勤労奉仕、または来るべき動員による授業時間の減少を、少しでも防ぐためにとられた措置であった。(つづく)


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