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松尾鉱山の思い出・続き
思い出の断片−「来襲する南京虫に自衛策」
■思い出の断片(続き)
ところで、あんまり物事を深刻に考える年代でなく、かつそんな時代でもなかったから、動員も結構楽しかった気がする。疲れていても屋敷台から元山の宿舎に帰るトラックに揺られながら、みんな楽しく応援歌やら流行歌を歌って帰ったものだ。松尾鉱山では、われわれの受け入れにあたって、当時の情勢下とすれば、可能なだけの配慮をしてくれたと思う。
はっきりした記憶はないが、食事などもその後の平塚動員などに比べたら天国と地獄ほどの違いだった。しかし、生活面で大閉口だったのは、ノミ、シラミ、南京虫の攻撃だった。とりわけ南京虫という代物は誰にとっても初見参の難敵だった。大体こんな吸血虫が日本に生息しているなんて、考えもしなかったのだ。
この虫は、明るいうちは影も姿も現さない。
電気を消して床に就くと、畳や羽目板のすき間からワサワサとはい出してくる。それが体感できるほどの速さなのだ。
これにかまれると、かゆい、痛い。口吻(こうふん)の構造のせいだと思うのだが、かまれた跡は、二つ並んでいるから、ノミやシラミとは容易に見分けがつく。かつ、さらに悪いことに免疫のないわれわれはかまれた跡が化のうすることだった。そこで誰からともなく、この虫の生態を利用した自衛策が採られるようになった。
板きれを集めてきて、これにくぎでたくさんの穴を開けて、床の周りに並べておく。
電気を消し、南京虫が出てきたころを見計らって、パッと電気をつける。すると南京虫君、慌てて件(くだん)の板きれの穴に逃げ込む。そこをピチピチとくぎでつぶすという戦法であった。
これを2回もやれば、疲れているものだから、どうでもよくなって、ぐっすり寝込んでしまう。いずれ家に帰ったら、着たもの、持ち物、全部を外で脱いで、裸で家に入った。着た物、持ち物は母親が鍋でじっくり煮上げて殺虫した。
この南京虫がどこからやってきたのか。鉱山の人たちの話では満州から来た麻袋説と、朝鮮から来た労務者の持ち物説の2説があったが、社員の住宅にはいないとのことだった。われわれの宿舎は、棟こそ違え朝鮮人労務者と同じだったということである。松尾鉱山の勤労動員は60年も前のことだから、定かな記憶はない。以上、断片の記憶であるが、今にしてみれば少年期の甘い良き思い出の花びらか。それにしてもこの「学徒動員」なるもの、誰の、いかなる命令によるものだったのか、迂闊(うかつ)にもいまだに承知していない。
ともあれ、中学4年間在学中、われわれは、農業従事、土木作業員、鉱夫、工員等々いろんな仕事を経験した。そんな経験がその後の人生で、意外に役立つことがあり、「あながち無駄ではなかったなあ」と思うことしばしばである。(つづく)
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