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コラム集「落ち穂拾い」
■「上級学校」事情
戦後の学制改革で現在の学校制度が生まれたが、その制度の下で学んだ人々が、すでに七十歳を超すようになった。したがって、高等学校というと、ほとんどの人は現在の高等学校を思い浮かべるであろうし、専門学校についても同じであろう。しかしわたしたちが学んでいた当時の学校制度の下では、これらは現在とは全く異なる学校であった。
この連載の舞台である盛岡中学は、旧制の中学校で、5年制であった。そしてその上に続く学校として、旧制の高等学校や専門学校があった。当時はこれらの学校を「上級学校」と総称していた。
わたしたちの仲間が進学した主な高等学校は、第二高等学校(仙台)と弘前高等学校だった。学制改革によって、前者は東北大学に吸収され、後者は弘前大学に発展した。
また専門学校では、特に盛岡工業専門学校・盛岡農林専門学校に多数の仲間が進学した。これらはそれぞれ岩手大学工学部および農学部となった。
岩手医学専門学校にも、かなりの仲間が進学しているが、これは現在の岩手医科大学である。
わたしたちが平塚動員中にこれらの上級学校を受験した様子は、すでに本文中(第42回)で語られているが、上級学校の受験は、現在の大学受験にむしろ近い。
なお本文中に出てきた陸士・海兵・海機は、それぞれ陸軍士官学校・海軍兵学校・海軍機関学校の略称である。いずれも中学4年で受験でき、4年終了で入学できたが、かなりの難関校であった。(増田眞郎)
■寮生歌集より
入学後、応援歌練習も終わり、ようやく落ち着きを取り戻したころ、こんな歌を覚えて歌っていた。
学校焼け焼け 寄宿舎ぶっ壊せ
校長コレラで 死んでしまえ
校長死んだとて 誰泣くものか
山のカラスが 泣くばかり
山のカラスも 只では泣かぬ
墓の団子の 食いたさに
ほかに、市内の各中学校をけなし、盛岡中とその対局にある某女学校だけ褒めまくる歌もあったが、掲載はご遠慮申し上げる。
その他デカンショ節や、各種数え歌、猥褻(わいせつ)な歌など随分覚えたし、今も結構歌えるのがある。どこの学校でもそれは同じだったのだと思う。(村田榮男)
■軍事教練のひとこま
軍事教練の担当は陸軍少尉の軍服姿で懇切丁寧に教えてくださる対馬鉄男先生だったが、先生の津軽なまりが妙に懐かしい。
増田氏の教練部の文中「目標、前方のポピラ・・・・」と書かれた個所があった。もちろんポプラのことだ。ところで、わたしには別の「目標」の記憶がある。
当時、校舎の周囲は現在ほど込み合ってなくて、富士見町の住宅も田んぼの中だった。
ポプラの木のほかに住宅の物干し場、ひらめく洗濯物も見えていた。そんなある日の教練の時間。
「目標・・・・」そこまで高らかに呼ばわった対馬先生、ちょっと言いよどんでから、
「・・前方の・・赤い・・旗!」ときたものだ。
見ればそれは赤く幅広い洗濯物。確かにわれらが応援旗と同じくらいに見える布製品ではあった。そこここからクスクス忍び笑いがもれ、先生は実に困ったお顔をしていた。(佐藤洸)
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