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創作「めぐりあい」(下)浅沼俊典
「もう遅いわよ」
妻の声が聞こえた。われに返ったとき、日記の文字がにじんで見えた。
次の日曜日も、珍しく晴れた。わたしは妻の仕事を手伝い、おそい朝食をとってから、娘を連れて散歩に行ってくる、と言って、国体公園へ出掛けた。この間は簡単に別れただけで、何の約束をしたわけでもないのに、あの人は必ず来るという確信があった。そして、この間と同じベンチに、娘と並んで腰かけて、あの人を待った。
わたしは、子供のころからいろいろなことを待っていたような気がする。待つということは決して楽しいことではない。例えどんなに胸を躍らせるような状態を待つにしても、待つというそのことは、不安と焦燥と、もしかしたら甘酸っぱいせつなさがある。
小学校に入ったころ、父に、海に連れて行ってやる、と言われたことがあった。わたしはうれしさに有頂天になって、その日を指折り数えて待った。しかし、その日が近づくにしたがい、今度は喜びが、本当にその日が来るかどうかの不安に変わり、眠れない日もあった。
ようやくその日が来て、プラットホームで汽車を待っている間も、自分の乗る汽車が見えるまでは小便がもれそうなほどの緊張を感じたものだ。
待つことに対するそんな思いは、戦争中の動員先で極度に強かったように思う。
戦争の終わる日が来るのか、家に帰れる日が本当に来るのか、という不安が絶えず心のどこかにあった。
しかし、澪子を知ってからは、戦争の終わる日、澪子が雪だるまを作りに盛岡へ行ける日を待った。それはまるで、起こり得べからざることを待っているという意味で、絶望的なものだった。
気が付いたとき、あの人が子供を連れてやってきた。
「またお会いしましたね」
そんな言葉が自然に出た。二人は顔を見合わせて笑った。わたしたちの会話は、すぐ前の続きに入った。
「横浜に住んでいらしたと言ってましたね。この間お会いした日、帰ってから動員時代の日記を読みました。あそこは終戦の年の5月29日に大空襲があったでしょう。わたしは朝から工場の防空壕のそばで、B29の編隊が、いくつも上空を通っていくのを、歯ぎしりしながら見ていたんです。そして横浜の方に上がる黒い煙を見て、どうにもやりきれない気持ちでした。わたしたちが一生懸命作っている戦闘機が一機も迎撃に出ず、近くで高射砲を撃っても、全然当たらなかったんです」
「ええ、わたしは、その時はもうここへ疎開していましたからよく知りませんが、かなりひどかったそうです。その空襲でわたしの家も焼かれ両親や兄たちが死んだのです」
その人は淡々と話した。わたしの方が、むしろ動転した。何か言おうとしたが、急には言葉が見つからなかった。
「そのままわたしは、親戚の家でずっと育てられたんです。高校にも入れてもらって」
戦争というものが、その人には、こういう形でかかわっていた。
わたしは、ふと、澪子のことを思った。
わたしは動員で、少なくとも二百片のプロペラを作った。戦争中はそれが誇りだった。いつか軍の命令で、何日までにプロペラを何機分作れ、と指示されたことがあった。
工員も学徒も、文字通り夜を日についで働き、ようやく目標を達成した朝、わたしたちの作っているプロペラを付けた戦闘機が、お礼飛行のために工場の上空を超低空で数回旋回した。女子工員や女学生は、寝不足で赤くなった目で飛行機を見つめ、手を振り、肩を抱き合って泣いていた。わたしは感動で身体が震えた。
動員先の工場で行われた卒業式には、学校からの優等賞は貰えなかったが、工場長から勤労賞を貰った。
戦争が終わって、わたしが作ったプロペラのために、少なくても50人の兵隊を殺したことに気付いた。人が何と慰めようと、わたしにとっては絶対に弁解しようのない事実であった。
長い間、罪の意識にさいなまれた。わたしの犯した罪は、澪子を殺したものの正体と、同じもののように思えた。
「兵隊だった人たちの記録や、戦争そのものを描いた小説や映画はたくさんあるのに、兵隊でもなかったわたしたちが、戦争から受けた影響、例えば学童疎開とか学徒動員の実態などは案外知られていないものですね」
わたしは、独り言のようにつぶやいた。
遊び飽きたのか、娘がわたしにまつわりついてきた。その人は、まだ砂場にしゃがみこんで、一人で遊んでいる自分の娘を見ながら話し続けた。
「あの子の父親は、わたしが疎開していた家の長男で、幼なじみというよりむしろ兄妹のようにして育ったんです。お世話になった義理とのみも言えませんが、わたしたち愛情というものがどのようなものかも分からず、そのうち分かるだろうと思って結婚したのです。しかし、あの子がおなかにいるときに、彼は、急性肺炎で、あっという間に亡くなってしまって…」
その人の目が初めて光った。こんなときどういうことを言えばいいのか、分かっていた。しかし、どんな言葉を使っても、わたしのそのときの気持ちを伝え得ないような気がした。
さりげない言い方で、深い悲しみを伝えられただけに、すぐに次の会話の糸口を見つけることができなかった。沈黙が続いた。
「あら、わたしのことばかりおしゃべりしてしまって、こんなことをお話するの、ほんとに久しぶりですわ。戦争中に同じ地方に住んでいた、とお聞きしたせいでしょうか。何か、急にお話したくなって」
その人はまた、もとの表情に戻った。
「それで、今は…」
わたしに、そんなことを尋ねる理由も無いはずなのに、つい、そんな言葉が口をついた。
「あなたはまだ若いんだから、義理立てなんかしないで、いい人がいたらいつでも再婚しなさいよ、彼の両親はそう言ってくれるのですが、こんなこぶつきでは」
そう言ってその人は笑った。屈託のない、明るい笑い声だった。
「今からだって遅くはないですよ。若いし、綺麗だし」
その明るさにつられてわたしは調子に乗ってしゃべった。が、心の片隅にうずきを覚えた。
その人は、急に真顔になった。
「ほんとうは、夫婦の愛情をもう一度味わいたい。いいえ、正直のところ今まで味わったことのない、男と女のどろどろした愛というものを、じっくり味わってみたいとは思うんです。でも、わずらわしい、というより怖さもあるのです。怖いという意味は、自分を抑えることができるかどうかということも含んでなんです。今、それを抑えているのはわたし自身ではなく、あの子のような気がするんです」
その人は深いため息をついた。そして、自分に言い聞かせるように、ゆっくり話した。
「信じられないかもしれませんが、今でも、戦争という言葉を聞くと、一瞬のうちに、過ぎ去った悪夢がからまりあって、わたしって一体何だったのか、分からなくなることがあるんです。もし、できるものなら、めくるめく青春を今からでもやり直したい気持ちです。どうもがいても、決して取り戻すことのできない青春を」
わたしの、あの人に対する記憶は、モーツアルトの、あるピアノ曲のような、悲しいほどの美しい響きで語られたあの言葉で、ぶっつりと切れてしまう。あのとき、あれからどんな会話を交わしたのか、どのような別れ方をしたのか、どうしても思い出せない。ただ、次の日曜日は朝から雨が激しく降ったことだけは、子供のころ楽しみにしていた遠足の朝に雨が降ったときの口惜しさ、そしてまた、失った恋に対する、取り返しのつかない悔恨のような、言い知れない焦燥感とともに、長い間、脳裏にこびりついていた。
しかしそれとても、いつともなく、わたしの記憶から消え去ってしまった。
秋田に転勤が決まったとき、ふっとあの人のことを思い出した。だがそれは、実在の人としてではなく、子供のときに読んだお伽話の主人公のような感じでたった。
わたしは、さっきの横顔が気になっていた。
あの人かもしれない、と思ったとき、どろどろした男と女の愛、という言葉をふと思った。あの人は、本当の青春を取り返したろうか、とも考えた。もう一度引き返してみようという激しい衝動にかられた。引き返しても引き返さなくても、後悔するだろう。
同じ後悔するなら、戻ろうか、とも考えた。
そして、あの人のはずはない。もしあの人だつたらどうしよう、と考えあぐね、決断のつかないまま、人混みの中に、しばらく立ちつくしていた。(おわり)
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