2005年 3月 2日 (水)        

■  〈わが歳時記〉高橋爾郎 3月

 岩手は春いまだだが、弥生3月と聞けば何となく心が和む。日差しも伸びてきた。青い空を仰ぐとはるか遠くから、こだまをひいて春の足音が聞こえてくる。

  3日は雛(ひな)祭り。わが家でも孫たちの健康を祈って恒例の雛を飾る。パッと部屋が明るくなる。外は一面の雪景色だが、雛壇はまぎれのない春の景色である。ところで雛祭りはいつごろから伝承されたものだろうか。調べてみて、次のことを知った。

  中国の古俗に3月上巳(じょうし)、または重三(ちょうさん)の日に水辺に出て禊祓(けいふつ)を行った信仰の行事がある。これが日本に伝わって「上巳の祓(はらい)」「巳の日の祓」という名で行われたものが始めという。祓いはみそぎのことである。「源氏物語」の須磨の巻末に、光源氏が海辺に出て陰陽師(おんみょうじ)の祓いを受け、そのあと舟に「ことごとしき人形乗せて流す」とある。

  この人形は草やワラなどで作られた等身大のもので、これに身をなでて穢(けが)れを移し水に流したらしい。ほかにまだ例があるが、いずれも身辺に置いて自分の身の汚れを祓うことを目的した人形だった。不用となった人形は焼いたりせず、川や海に流したり道祖神に託す風習が今も残っている。

  その人形が美しい衣装となり純然たる玩具としてふだんの遊具となった。いわば呪術(じゅじゅつ)と遊びが人形を介して結びついたものが、いつの間にか雛祭りに定着していったとみられる。だから単純な遊びではない、生命の深みにつながる独特な美意識が、雛人形や雛祭りの行事にまつわっているという。

  雛祭りが現在のように3月3日の遊びの行事となったのは近世以降、一説には徳川5代将軍綱吉の時代という。それより前の元和から寛永にかけてのころ、後水尾天皇が座右に人形を置いて愛好したため公家の間にも流行し、寛永雛と称する美しい雛が作られるようになったともいう。その後、この風習が民間にも広がって小型だが手のこんだ享保雛が生まれたらしい。

  現在は各家庭だけではなく、幼稚園や小学校、各施設でも雛を飾り、3月3日を祝っている。春の喜びを皆で一緒に味わい、あわせて汚れを祓うという遠い中国の古俗が、今もそのままに行われているということを知ってお雛さまへの思いを深くしたのだった。とすれば雛祭りは女の子だけのお祭りではなくわが家族全部を守ってくれている人形ということになるだろう。

  この日を別に桃の節句とも呼ぶ。桃は古来から邪気を祓う仙木とされる。古くは3月上巳の日、宮中では桃の花を浮かべた酒を飲む習慣があったという。現在でも雛段には桃の花は欠かせないのは、そのような風習によるといわれる。

  この小文を書き終えて雛段に並ぶお雛さまを見るといっそうお顔が美しく映えている。

  わが知らぬ母の古唄ひなまつり
  沢藤 紫星

 雛の日の雪に濡れきて髪すなほ
  三浦 ふく

 みちのくはまだ雪深く雛の灯
  小野寺孝子

 


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