2005年 3月 4日 (金)        

■  えみし社会を体系的に紹介 県立博物館でテーマ展

     
  八戸市丹後平古墳群出土蕨手刀(奈良時代、八戸市博物館蔵)  
 
八戸市丹後平古墳群出土蕨手刀(奈良時代、八戸市博物館蔵)
 

 盛岡市上田の県立博物館で2日から、テーマ展〜「えみし」社会の誕生〜が始まった。古代の津軽海峡をはさんだ東北地方北半から北海道南西部にわたる地域には倭国や日本国から、えみしなどと呼ばれた社会が展開し、文化や価値観の共有が認められる。今展では、えみし社会の誕生に至る背景や要因、その末裔(まつえい)たちについて多面的な観点から体系的に紹介する。5月5日まで。

 今展では古代の東北地方北半から北海道南西部にわたって住み、独自の生活、文化、社会をつくり上げた人々をえみしとし▽津軽海峡をはさむ地域性(共通文化圏)▽「えみし」社会の誕生と古代国家倭国▽「えみし」社会と律令国家日本国▽「えみし」の末裔たち−の観点から展示紹介。県内をはじめ秋田、青森両県と北海道の県や市町村など所蔵の出土品など約400点を展示している。

  共通文化圏としては、縄文早期は貝殻で紋様を付けた貝殻沈線文土器や尖底土器、前期では円筒土器、中期では円筒上層式土器、後期では東北北半での十腰内(とこしない)式と北海道での堂林式の土器に表れている。晩期では東北北部中心に発展した亀ケ岡文化があり、大洞式土器は関東や関西の一部まで広がった。

  女鹿潤哉主任専門学芸員は「縄文から弥生中期まで共通性の高い文化が見られる。その理由は、古代以降のろくろを使った土器以前は女性が作るものとされ、海峡を越えた通婚関係、交易があったためで、言葉の共通性があった」と解説。精神文化にも共通性が強く、象徴的な意匠のクマ土偶が多数展示されている。4世紀前半には初期えみし社会が形成されていたと説明する。

  蕨手刀(わらびてとう)は倭国が起源だが、東北北半では柄が反り返って発達した。倭国は7世紀後半、律令国家日本国に変わり、東北北半の領有を策するようになる。この中で、えみしは俘囚(ふしゅう)などと位置付けられ、国家側から位階を授けられる実力者も現れる。家父長層を葬ったとされる群集墳や埋葬品などはその関係を物語り、蕨手刀やスズ製装身具類はえみし社会のアイデンティティーにかかわる資料という。

  9世紀になると、蝦夷の和人化が急進展。東北北半域と道南西部との共通性が失われ地域差は表面的に大きくなった。それでも、えみしのきずなは10世紀に至るまで認められるという。

  女鹿さんは、えみし、えぞとアイヌは違うと解説。アイヌ文化の成立は13〜14世紀で、えぞ社会からアイヌ文化が生まれたという。えみしは日本人化するものとアイヌにたどり着くものに分かれていった。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします