2005年 3月 6日 (日)        

■  〈雑誌創刊号の話〉192 成ケ澤栄治 「ポエム」

 「新しい時代の新しい感覚の総合文化誌」と銘打って、しょうしゃな体裁の文芸誌『ポエム』(変形旧菊判・104ページ)が、昭和51年10月、すばる書房から創刊されました。

  創刊特集は「中原中也」です。

  まず、長谷川泰子が「中也・愛と訣れ」を載せます。17歳で中学生の中也が、女優で三つ年上の泰子と出会ったのは、京都の表現座のけいこ場でした。

  「…(略)中原は薄暗い稽古場のイスにちょこんと座って、私たちの練習風景を見ていたのです…(略)のちに一緒に住むようになってから、よく二人で散歩をしましたが…(略)まるで少年を連れて歩いているような…」と、泰子は書き始めます。

  1年後二人は上京しますが、泰子はやがて中也と別れて小林秀雄のもとへ走ることになるのです。

  「…(略)小林が出入りするようになって、自然と私は、中原に内緒で小林と会うようになったのです」と、詩のことで頭がいっぱいの中也と、視野の広い評論家小林とを比較するようになるのですが、泰子の行動を決定させたのは「あなたは中原とは思想があい、ぼくとは気があう」と言った、小林の言葉でした。

  回想記は「…(略)信仰に入って三十年、やっと中原の心底にあった神意のようなものを感ずるときがあるようになりました」と、泰子72歳、今の心境を述べて終わるのです。

  中也の短い生涯には二つの不幸な出来事がありました。18歳の年に愛人泰子に裏切られたこと、29歳の年に愛児文也を病気で失ったことでした。

  この2度の事件で中也は、自己の存在が破壊されてしまうほどの打撃を受けました。自分のあとを継いで詩人になってほしいと願った文也の遺体を抱いて離さず、なかなか入棺させなかったといいます。

  「中也はNHKの守衛になりたかった」と清水昶が明かし、大岡昇平「青春の中也」、林静一・福島泰樹・秋山駿らが「アンケート・中也の詩」に答え、ほかに、吉本隆明・大西赤人・清水哲男・谷川俊太郎・和田誠・鈴木志郎康・谷岡ヤスジ・つげ義春らが並びます。小説に芥川賞作家の村上龍が「スザンヌ」を寄せ挿絵も本人が描き、その多才ぶりを発揮します。

  評論に草下英明の「宮澤賢治の原体剣舞連」を載せて、新しい感覚の文芸誌『ポエム』は生まれました。
(毎週日曜日掲載)


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