2005年 6月 1日 (水) 

       

■ 映画「わらびのこう」 恩地日出夫監督と大内豊社長が対談

     
  映画「わらびのこう」から。〓日本の原風景を映像で考える会  
  映画「わらびのこう」から。(日本の原風景を映像で考える会)  
  口減らしのため老人を村から離れて原野に暮らし最期を迎えるという「棄老」の風習を題材に描いた映画「わらびのこう 蕨野行」(恩地日出夫監督)が6月4日、県内では初めて盛岡市の岩手教育会館で上映される。

  作家村田喜代子さんが「遠野物語」を基に書いた原作に感銘した恩地監督が、製作費ゼロから苦労の末、完成させた映画。約1年、ロケした山形の四季の風景も見どころだ。

  舞台は江戸時代。食料が乏しい時代に生まれた風習の姥(うば)捨て。蕨野という原野に捨てられた老人たちが、そこでどう生きるかを描く。座して死を待つのではなく、8人のジジババが生きていく姿が感動を与える。恩地監督こん身の作が今日の日本社会に問いかける。

  上映会を前に恩地監督と大内豊盛岡タイムス社長が対談した。

  上映会はシネマとうほく(電話019−622−2062)の主催。午前10時30分からと午後2時からの2回。前売りは一般1200円(当日1500円)、シニア・大学生1千円(同1300円)、小・中・高生は当日のみで500円。

 大内 監督は8年の間をかけ、映画「わらびのこう 蕨野行」を作ったわけですが、そのきっかけ、理由はなんだったのでしょうか。

  恩地 ぼくは1960年に監督になりまして45年やっているわけです。27歳でデビューしたんですけど、45年足すと72歳になるわけで、この年になって、そろそろ親しい友達も半分ぐらい向こう側に行っちゃって、おれもいつ死んでもおかしくない年になったなあという感じの中で、最後にどうしても撮っておきたい映画として、この映画を撮ったということです。岩手に関してですけども、「遠野物語」には棄老の風習について書かれているんです。それをヒントに芥川賞作家の村田喜代子さんが書いたのが「蕨野行」という小説なんです。蕨野となっていますけど、遠野にはデンデラ野ってのが今もありまして、そこから人骨が出たとかあって、その設定を、村田さんが実際に遠野で見て、そのイメージで小説にしたんですね。現在、その場所は舗装道路になり現代的な住宅が建っているので、そこで撮るわけにはいかないわけです。この物語にはまず雪が必要です。雪というと東北なんですね。青森じゃ深すぎるし、秋田か山形かなあと探し歩いて、結局、山形に決めたんです。最初は遠野から始まったんです。盛岡でいったん降りてから遠野まで車で行って、市役所にあいさつしてデンデラ野に行ったところから始まって、8年かかったというわけです。

  大内 嫁としゅうとめと言いますか、女性は子供を産むわけで、女性は非常に強い、元気と言いますか、そういう女の生きざまをかなり掘り下げている感じがするんですが。特に今は女性がかなり強くなったとも言われますが。

  恩地 嫁としゅうとめはけんかするもんだという変なドラマを書いた人がいて、それが常識になっちゃってますけども、この映画の中の嫁としゅうとめは先生と生徒なんです。例えば、農作業にしてもみその造り方にしても、全部しゅうとめに教わるしかないんですね。すると、教える方も満足するし、教わる方もしゅうとめを尊敬するわけですよね。しゅうとめの方は教えると少しずつでも進歩すると嫁がかわいいわけですよ。それは一種の愛情で結ばれる。この嫁はしゅうとめの40近い息子の後添えとして20歳ぐらいで入ってきて、何も分からないわけですよ。そこでしゅうとめにいろいろ教えられて、でもしゅうとめが蕨野に入っちゃうと。自分の夫よりもおババのほうが「恋しかりよ」っていうような関係が成り立ったんですね。

  大内 あまりまじめすぎても駄目で、ストーリーの中で死生観を考えさせるということですね。

  恩地 一番大事なのは死に向かって8人のジジババが精いっぱい生きることですよ、死ぬ瞬間まで。それがすごい。それはジジババの問題じゃなくって、若いやつだってあした電車がぶつかるかもしれない。そういう時代の中で死ぬ日までどう生きるかをもう一回きちっと考えないと。死ということをきちっと考えないと生きるってことも考えられない。そういう気持ちが大きくあって小説に感動したのかなって気がするんですけど。

  大内 高齢者の施設はだいぶ整備されてきましたけど、監督の考えとしては高齢者の側に立った整備がされていないということですか。若い人たちの発想でされているんでしょうか。

  恩地 介護っていう言葉がきらいなんです。おれ介護なんかしてほしくない。体中に注射の管をいっぱい付けて1日多く生きるより、痛い思いしないで死んだほうがいいわけで、管をいっぱい付けるというのは本人の意思ではなく、送る方の論理ですね。

  大内 やっぱり何歳になってもきらりと生きる考え方、執念がないと駄目なんですね。

  恩地 死ぬまではみんな生きるわけですから。それを忘れちゃって、もうじき死ぬからずっと死の前奏曲みたいな、余生って言葉は良くないんじゃないかなと思いますね。死ぬ瞬間まで現在を生きているわけですから。

  大内 そのへんが「楢山節考」の映画とはちょっと違うところなんですね。

  恩地 やっぱり「楢山節考」も送る側の論理なんですね。息子がおふくろを捨てるのはかわいそうだ、おんぶしていくんだけど、捨てていいんだろうかと悩む話なんですよね。けれど、おかあさんは早く行け、早く行けと言って、山に置いてきてたぶん死ぬんだろうと思うところで終わっちゃうんです。捨てられたあとのジジババはどうするんだろうというのが大事なんです。死ぬまでばあさんは生きるわけだから。

  大内 小説の中で馬吉との恋愛、男女関係が出てきているんですね。骨になるまで人間というのは男と女です。

  恩地 そうです、セックスはあるんです。それは大事なことですね。解放されていくんですね、蕨野に入ったあと。四つ足食っちゃいけないという江戸時代の風習の中で、腹減ったからウサギ殺して食ってみたらうまかった。掟(おきて)から自由になるんです。セックスのことでも、自分のだんなは死んだのに、ぼけて分かんなくなってしまい、一緒に捨てられたじいさんをだんなだと思いこんでしまう。足がなえてトイレに行けなくなると、じいさんを呼ぶ。じいさんは喜々として下の世話をしてやる、おんぶして連れていく。そういう関係ができてくる。その背中で、おしっこの帰りに安らかに死んじゃう、ばあさんが。満足して。そういう死の瞬間まで燃え尽きていくというかな。これは、やっぱり美しいよね。

  大内 掟というのは、それを含めて単なる生活の決まりじゃなく、恋愛の掟みたいなものも、かなり掘り下げているようですね。

  恩地 やっぱり人間の生きざまが死にざまにつながっていくと思うんですよ。ぼくは8人のジジババが死んでいくのを1年かけて撮ったんですけども、順番に撮っていくうちに、死ぬまでの生きざまがうらやましくなってしまいまして。一人ひとりがみんなすばらしいんだよね。おれももうじき死ぬことになると思うけど、おれは9人目のワラビ衆になるぞって、最後のほうでスタッフと酒飲みながら話していたんです。映画撮るっていうのは、ぼくにとって生きていることなんです。撮り終わったところで蕨野に入れればこんな幸せなことないんですけど、出来上がってみたら、自分で金工面して作ったので、売って歩かなきゃならないんで、まだ簡単に蕨野に入れないんですけど。

  大内 いいこと、立派なことをやりましたね。

  恩地 でも本当にすてきですよね、この8人のジジババは。

  大内 今、地方で映画のロケとか、フィルムコミッションが盛り上がっているような気がするんですが。
  恩地 そうですね。ただ、フィルムコミッションが、まだ観光開発のための映画誘致とか、テレビ番組で地元の菓子屋さん取り上げてもらって有名にするとか、そういう発想から抜け出せない。この映画は山形に行って作ったんですけど、フィルムコミッションが山形にはなかったんですよ。ないから良かったというところもあるんですよね。岩手でスタートしたんだけども、雪の関係とかいろんな関係で山形に設定してシナリオ作って、じゃあ山形でお金出してくれないかなと、知事に話しに行って、みたいなところから始まったんです。そうしたら最初に言われたんです。山形は「おしん」を撮りました。山形は貧乏だということを宣伝しました。今度は親を捨てるということですか。これは山形にとってどういうメリットがあるんですかねという役人が出てきたりしてね。 そこから始まったんですけど、だんだん、時間をかけて中身を説明して、理解してきて、なんと「蕨野行」の製作を支援する会ができて、1人1万円で会員を集めました。1万円ってなかなか集まらないものです。一応10枚の前売り券が入っていますけど、映画が出来上がるかどうか分からない、ほごになるかもしれない。それが1千万円集まれば助かるなと思っていたところが、なんと5千万円集まったんです。全体の製作費が2億のうちですよ。映画の中身を理解した上で大変そうだからみんなで頑張ろうよっていうのが、理想的に盛り上がった結果だと思います。時間がかかるんですけどね。こんなに集まるとは思わなかったです。なかったら途中でパンクしたかもしれない。

  大内 そういう盛り上がりがあったんですね。

  恩地 それで東京でやる前に山形で完成試写会をやったんです。そういう形でぼくとしては答えを出したんです。なんと6万5000人が山形だけで見てくれたんです。3つのシネマコンプレックスで上映したんですけど、最初2〜3週間の予定が、15週やったんです。それだけ来てくれたんです。これはいいかなと思ったら、そのあと、全国の公開があんまりうまく行かなくて。でも昨年4月に自主上映へ切り替えてから着実に伸びています。時間はかかりましたけど、北海道から沖縄まで一応カバーしました。

  大内 単なる観光の発想で取り組んでいるのとは違うんですね。

  恩地 映画というのは、商品であると同時に文化なんです。経済効果だけで出発しちゃうと駄目なんです。文化としての映画に共感して、みんなで支えるってところから出発して、それが結果的に地域おこしになっていくんですね。これはいいと思うんですよ。

  大内 盛岡は映画館が多いんです。

  恩地 山形も多いんです。東北はまだ映画館多いんです。だんだんシネマコンプレックスができてきて、昔からの映画館が元気なくなっていますけど。盛岡では映画館通りが一種のシネコンになっているんでしょうね。これまであんまり観客と触れ合う機会がなかったんですが、山形で手作りの映画作って、そういう交流ができてよかったですね。

  大内 江戸時代の還暦というのは今なら80近いでしょうが、元気ですよね。現実にああいう生活はできないものでしょうかね。高齢者だけで理想郷みたいに。

  恩地 理想郷ですよ。

  大内 考えてみると、米が取れないときに必ず魚が取れるとか、木の実が採れるとか、自然の恵みがあるんですね。なにも悲観する必要はないんですね。本日は本当に良いお話をおうかがいすることができました。映画会が楽しみです。これからもよろしくお願いします。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします