2005年 12月 29日 (木) 

       

■ 少年はたくましかった 「われら4年卒」戦時下盛岡中学生の青春

     
  「われら四年卒」の出版を喜ぶ村田榮男さん、佐藤洸さん、藤原誠市さん(左から)  
  「われら四年卒」の出版を喜ぶ村田榮男さん、佐藤洸さん、藤原誠市さん(左から)  
  終戦の1945年に盛岡中学(現盛岡一高)を卒業した白堊60期4年卒生(増田眞郎代表)が、「われら四年卒−戦時下中学生の青春」を出版した。5年制だった旧制中学の中で、戦場に送り込むために1年早く卒業させられた少年たち。その胸中や学徒動員でのたくましさ、生きる知恵がつづられた。編集代表の一人の佐藤洸(ひろし)さん(76)=盛岡市=は「中学四年卒・昭和3年(1928年)生まれというだけで、学校は違っても不思議な連帯感がわいてくる。暗い時代にあっても、十五・六歳の少年たちがはつらつと生き抜いたさまも伝えたかった」と話す。

 4年卒生の卒業式は45年、軍需工場があった平塚などでそれぞれに行われた。卒業証書は手にしたが、「みんながそろった卒業式はなかった。戦争による犠牲者が一人も出なかったことも何かの縁なので、いつかは学校でそろって卒業式をやってみたい」と、夢も膨らんでいる。

  「われら四年卒」は、第1部「在学四年間の軌跡」(増田眞郎さん著・戦時下の盛岡中学)、第2部「在学四年間をかえりみて−回想と証言集」で構成。第2部には同期生有志が投稿しており、学業半ばでの松尾鉱山動員、六原道場での短期訓練、鉄道整備のための砂利採取など、旧制中学生から見た戦争の記録でもある。

  投稿者の村田榮男(ひでお)さん(77)=盛岡市=は、平塚の工場で陸軍の四式戦闘機(キ八四)のプロペラ作りに従事した経験を述べた。

  「プロペラ削りは、荒削りからやすりで仕上げる総仕上げまで手作業。おしゃか(不良品)も出てくるが、素人の中学生が作るのだから当然といえば当然。今思えば作らせる方がおかしいし、どうにもならないところまできていたんでしょう」と振り返る。

  3年を終わってすぐ飛行学校に入った佐藤さんは、「4年生はほとんど経験していないが、物理や発動機学など普通の中学生がしない勉強もさせられた。それでも勉強が足りなかったと思うことが逆に励みというか、やらねばならないという思いが70を過ぎた今もある」と、自らの原動力になっていると語る。

  白堊60会事務局の藤原誠市さん(77)=盛岡市=は、太田愛人さん(横浜市)が平塚工場の思い出の中で「農家からサツマイモを買って屋根に並べてホシイモを作る豪の者もいた」と述べる本人。食料事情が悪い中、少しでも栄養を取ろうという知恵だったという。

  食べ物に関する思い出がもう一つ。「わたしの健康を心配した母親が、はちみつをサイダー瓶に詰めて動員先の近くまで持ってきてくれた。おかげで元気になった」と感謝する。

  佐藤さんが同期生からの原稿をまとめていて気付いたのは、皆の思い出の中に「北上夜曲」が多く出てくること。「誰かがどこかで仕入れてきたと思うが、流行する前のこと。岩手の中学生たちはすでに愛唱していた」と、その後の大流行のきざしを感じる。

  中学校四年卒の政府の措置は、佐藤さんらの代から適用され、1級下の学年は4年生在学中に敗戦となったので中止になった。本書を読んだ人の中には、四年卒でなくても「学徒動員で同じような経験をした」と共感を寄せる人もいるという。

  「われら四年卒−戦時下中学生の青春」は、B5判、181ページ、盛岡タイムス社発行。定価1千円。




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