2006年 4月 16日 (日) 

       

■  〈盛岡百景〉60 三馬橋付近

     
  馬をモチーフにした親柱の三馬橋  
 
馬をモチーフにした親柱の三馬橋
 
  箱清水と厨川を結んで北上川に架かるのが三馬橋。橋の名は三田農場と岩手種馬所(現東北農業研究センター)から1字ずつ取って付けられた。種馬所は1896(明治29)年、現家畜改良センター岩手牧場の地に開設され1907年に移転してきた。三田農場は1901年、三田グループの創業者三田義正が取得。以来、農場として使われ続けている。山林所有者として知られる三田農林の原点は、この農場での農業だった。

  県果樹協会長だった三田は1891年、この地を果樹協会の実験地にした。果樹で岩手の産業を振興させたいとの思いからだったが、れきを含んだ沖積砂質壌土の土質で果樹に不向きと判明し、三田が私有財産に引き取った。ただ、リンゴにとって砂質壌土は味を高めることが分かり、リン酸の少なさを改良し昭和初期ごろからリンゴ栽培を始めたという。約20品種を栽培している。ほかにアスパラガスが主力だ。

  橋の名に入らなかったが、終戦までこの辺りの北上川両岸は陸軍の財産だったという。明治末期、旧騎兵第3旅団第23、24連隊が設置されて以来、終戦まで陸軍施設が青山にあり、川を渡る訓練場所となったようだ。

  三馬橋は大正時代の木橋が最初だと言われている。戦後にも2度架け替え後、1968年に合成けたに架け替えられた。幅員は0・8メートル広がって4メートルになったが、長さは65メートルと古い木橋と同じ。車の対面通行はできず、接続路はこう配がきつい。急速に増える交通量に対応できる造りではなく、高さも136・8メートルで川の水かさに対して不十分だった。

  そこで市は市道高松4丁目厨川1丁目1号線の改良工事の一環で架け替えを計画。国の補助申請を担当した市職員は現地へ写真撮影に行った際、橋を渡る園児の一団の横を車がすれすれに通り抜けている光景に遭遇した。反対車線のたもとには待機する車。「いい写真が撮れ一発で認められた」と振り返る。

  晴れて91年に事業着手。98年、馬をモチーフにした親柱を持つ現在の橋に架け替えられたが、こう配が緩やかになり総延長は229メートル、幅員は12・8メートル、高さは141・8メートルという構造になった。周囲の木々にほとんど変化はないが、大きな橋の出現で景観はずいぶん変わった。

  (井上忠晴記者)

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