2006年 7月2日 (日) 

       

■  〈盛岡百景〉71 盛岡ドミニカン修道院

 

     
  上田字松屋敷のダム湖畔にあるドミニカン修道院  
 
上田字松屋敷のダム湖畔にあるドミニカン修道院
 

 松園の住宅地を抜けると四十四田ダム湖の周辺に広がる森に出合う。表通りから森の中に開かれた道を入っていく。両側にはスギ、カラマツやアカマツ、水辺のそばのためミズナラやコナラといった広葉樹も見られる。日差しの強い夏の日も、木陰になった道は快い空間だ。

  木立を抜けた先に現れるのが盛岡ドミニカン修道院。それまでの道中と一変し、細長い塔を持つ建物の白い外壁が目にまぶしい。この地に修道院が移転してきたのは1987年。白い壁は今も色あせることなく、十字架を戴いた塔は空へと伸びている。

  建物は鉄筋コンクリート2階建て。中心と位置付けられる聖堂、外来信者らを迎え入れるロビー的な空間、奧には修道生活をするための修室など禁域を区分して配置している。

  設計した久慈設計(当時久慈一戸建築事務所)の小川惇社長によると、白い旧修道院建物のイメージを受け継いだという。現代建築だが、北欧の教会建築風の特徴も取り入れられた。聖堂は縦にシャープな面構成によって、塔が実際よりも高さを感じさせる。敷地に入ってから聖堂までは坂道か階段を上ることになる地形も高さを強調させている。禁域は中庭を設けて生活空間としているという。建物は日本建築学会東北支部の86年度東北建築賞を受賞している。

  ドミニコ会の日本での宣教は1602年が始まりとされるが、30数年でいったん終止符を打つ。宣教が再開されたのは1904(明治37)年とされ、東北では31(昭和6)年、聖ドミニコのローマ女子修道会が仙台に修道院を設立。36年にはドミニカン修道女会のベルギー人修女6人が盛岡の内丸教会の一角に女子観想修道院を仮開設し、3年後、まだ宅地開発の及んでいなかった現緑が丘4丁目に移転した。

  戦後まで人家のまばらな周辺だったが、盛岡市の人口増加と住宅需要に対し、60年ごろから黒石野での住宅開発などで宅地化が始まり、県住宅供給公社の松園ニュータウン造成が70年に着手されてからは急速に都市化が進行。修道生活にふさわしい環境ではなくなっていた。半面、修道院があったため開発の波から一里塚跡と松並木が守られ、移転後も旧街道の面影を今日に伝えている。

  修道院の現在地は近くまで民家が迫っているが、林地と四十四田ダム湖に周辺を守られ閑静さを保っている。
(井上忠晴記者)


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