2006年 7月23日 (日) 

       

■  〈盛岡百景〉74 盛岡天満宮 飛び梅に天神のかじり梅

     
   心を和らげる表情の撫牛(手前)と天神のかじり梅(右)、現在の本殿は1874年に建てられた  
   心を和らげる表情の撫牛(手前)と天神のかじり梅(右)、現在の本殿は1874年に建てられた  

 上の橋から東方面に進んでいくと、正面に緑の小高い山が目に入る。この山が新城山のほか天神山と市民に呼ばれるのは、盛岡天満宮が遷座されているからにほかならない。杉林に覆われた天神山のふもとに入ると、一般道は右にカーブする。正面は天満宮に登る階段だ。長い間、この道は天満宮へ参るものだったと推察できる。石の階段は鳥居まで132段あるという。

  天神さまとは菅原道真。学問の神として受験生らが願をかける。道真にまつわる逸話で特に有名なのは飛び梅だろう。左遷される道真を追って、都にあった梅が飛び移り太宰府に根を下ろしたという話。「東風吹かばにほいをこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」と道真は詠った。

  そのためか、盛岡天満宮は梅を眺めるのも一興だ。飛び梅は本殿に向かって右。清水町の馬具屋ながら盛岡の珍木シダレカツラの接ぎ木に成功した故阿部善吉翁が太宰府の飛び梅の種をもとに育てた木だ。種は藩政時代、参勤交代で出府していた藩士が、親交のあった筑紫の藩士から譲られたものだという。

  左手には天神のかじり梅。かじった跡のようにくぼみがある種から名付けられた。長田町にある市保存樹木の「天神のかじり梅」が親木で、阿部翁が育成した。天満宮は盛岡城築城のころは四ツ家と寺町(本町通)の間にあったと伝えられ関連性を想像させる。太宰府天満宮には以前、牛の鼻ぐりの形に似て二つの穴がある「はなぐり梅」があった。阿部さんが同宮とやりとりし、種の比較から2本の木は同一種類と判明。阿部翁は同宮に苗木を送った。

  鳥居のそばには、花こう岩の裂け目に成長した石割梅。石は高さ約2メートル、幅約5メートルの自然石で、亀裂から古銭が無数に掘り出されたことから銭湧石と呼ばれる。境内から一段低い場所には臥竜梅。幹の途中から横に育ち、竜が首を伸ばしたような樹形をしている。

  盛岡天満宮が現在地に遷座されたのは1679(延宝7)年という。境内では人なつこそうな石彫たちと出合う。啄木の小説にも登場するこま犬は1903(明治36)年、高畑源次郎という人物が彫り寄進した。啄木の歌を刻んだ台座が付けられたのは30年後のこと。撫牛(なでうし)は1902年の一千年祭を記念して奉納された。1768(明和5)年の建立と刻まれている鳥居前の芭蕉塚はカエル型の台座を眺めるのが楽しい。(井上忠晴記者)


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