2006年 8月17日 (木) 

       

■  〈盛岡百景〉77 先祖の霊を流す 盛岡舟っこ流し

     
  大勢の人が見守る中、炎に包まれゆっくりと川を下る舟っこ  
 
大勢の人が見守る中、炎に包まれゆっくりと川を下る舟っこ
 
  まだ昼の明るさが残る午後4時半ごろ、北上川の明治橋上流に集まった十数隻の竜頭舟の周りに人の数が増えていく。送り盆の8月16日、精霊流しの習わしが始まる。先祖供養、水難事故や幾多の戦争の戦没者らの精霊に祈りをささげる読経のあと、川の両岸に運ばれた舟っこが1隻ずつ、男衆に担がれて流し舟が始まる。

  舟っこは船首に竜があしらわれ、造花や五色幣で彩られる。今日では、多くが町内会単位で、8月に入ると同時に造り始める。造花は花輪などから集めて使う。舟の中央部には供養塔を建て「南無阿弥陀仏」などと名号を書いた紙を張る。

  舟っこを出す町内では、先祖や近年の物故者の供養について希望者が戒名を届ける。戒名は札に書かれて舟に乗せられる。盆に入ってから、それぞれの舟っこで魂入れ(供養会)が行われ、流し舟の日を待つ。

  伝によれば、舟っこ流しは南部氏第30代行信の七女塩子が信仰篤く、大慈寺4代目万叡和尚に帰依し、享保年間(1716〜36)に川施餓鬼の法要を盛大に営んだことが始まりとされる。時代は下って1815年(文化12)年、津志田遊郭の売れっ妓(こ)だった大時、小時ら十数人の乗った舟が、はんらんした北上川で転覆し水死したことから翌年、哀れんだ町人たちが供養したのが今日の行事に受け継がれていると言われる。しかし、今のような竜頭舟がいつごろから流されていたかは定かではない。

  近年まで、流し舟は夕顔瀬橋付近でも行われてきたが、明治橋上流の1カ所になった。迎え火に送り火という盆の習わしは各戸で行われるが、多くが集まる舟っこ流しは先祖に限ることなく多くの精霊を送る市民の心根の表れかもしれない。

  さて、男衆に担がれた舟っこは川の中ほどのところで着水し川の流れに乗せられて、下り始める。火が放たれると爆竹音とともに一気に火は燃え広がっていく。10数メートル下るうちに舟っこはほとんど燃え尽き、炎は静かに消え入る。舟っこが何隻か流されていくうちに辺りは見る見る暗くなっていく。炎は川面に映り、実際より大きく見える。夜になってからの炎は厳かさを増したかのようだ。

  暑さのピークを越えた盛岡は盆すぎ、日一日と秋を感じていくようになる。すべての流し舟が終わるころ、人々は日中の暑さが既に引いていたことに気付かされる。
(井上忠晴記者)

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  今年は吹き流しなどで飾られた15の流し舟が参加した。

  千葉県から訪れた小学1年生(6)は「舟から煙りが出たり、龍の目が光ったりしてすごい」と初めて見る舟っこにびっくり。母親(45)は「270年も前から続いているなんて素晴らしいですね」と目を細めていた。

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