2006年 10月 23日 (月) 

       

■  「啄木と明治の盛岡」 門屋光昭さんと山本玲子さんが共著 

     
  「啄木と明治の盛岡」  
 
「啄木と明治の盛岡」
 

 盛岡大教授の門屋光昭さん、石川啄木記念館学芸員の山本玲子さんの共著「啄木と明治の盛岡」が川嶋印刷(平泉町)から出版された。啄木が明治39年(1906年)に盛岡を舞台に書いた小説「葬列」などを取り上げながら、ハイカラな盛岡を背景に啄木の青春を描いている。

 本書は、門屋さんと山本さんが交代でタウン誌「街」(杜の都社発行)に執筆したものを一部訂正・加筆して編集した。66編を収録したほか、旧玉山村と盛岡市の啄木ゆかりの地マップ、啄木年表を付けた。

  山本さん執筆の「破天荒(はてんこう)な変化」では、「葬列」の一部分を引用。「破天荒な変化と云ふべきは、電燈会社の建った事、女学生の靴を穿(は)く様になった事、中津川に臨んで洋食店(レストウラント)の出来た事、荒れ果てた不来方城が、幾百年来の蔦衣(つたごろも)を脱ぎ捨てて、岩手公園とハイカラ化したことである。」

  今年9月、開園100年を迎えた岩手公園。開園当時、啄木は代用教員として渋民村(現盛岡市玉山区渋民)にいたころで、実際には岩手公園を見ることなく北海道に行ってしまったという。

  それでも啄木は小説の中で「岩手公園を自分のものに出来たなら、本丸の跡にギリシャかどこかの昔の城を真似た大理石の家を建て、ただ一人その家に住む。空腹を感じた時は、電話で川岸の洋食店から上等の料理を取寄せる」と述べている。

  そのユニークな発想とともに、日本の食文化を変えていく洋食を躊躇(ちゅうちょ)することなく生活に取り入れようとする啄木。山本さんは、そんな啄木のハイカラ性について「盛岡の破天荒な変化と共に発芽し、やがて独自の文学論にも現われていったと言えよう」と推測している。

  門屋さんは、県立博物館学芸員、北上市立鬼の館館長を務めた経験などから啄木と芸能に詳しい。

  代用教員だった啄木が神楽や盆踊りに深い理解を示し、自らも「盆踊り狂い」だったことなどを紹介。「伝説・俗謡の調査」では、渋民尋常高等小学校から郡役所へ報告するためにまとめた「童話伝説俗謡の調査」や「渋民日記」での伝説に関する記事を取り上げている。

   啄木は、民衆の間でうたわれてきた歌謡、流行唄を含む「俗謡」について、「古い俗謡には感情を露骨に歌つたのが有るが、事実−汚い事実を歌つたのは殆(ほとん)どない。且つその楽律も大抵一種の特色ある自然の声だ。」という。

  また「従来の旋律と洋楽風との折衷が、類例なき卑俗の調子を生んだという事実は、或は非常に適切に、明治革新以後の社会の傾向を語つて居るのかと思はれる。」と論じている。

  「啄木と明治の盛岡」はB6判、326ページ、定価2千円。


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