■ 〈阿部陽子の里山スケッチ〉75 小野松山(おのまつやま、291メートル)
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「四十四田ダム湖に岩手山がバッチリ。小野松山、なかなかいいッすよ」と声をかけてくれたのは、盛岡市の北松園に住む川村さんだった。そう、小野松山なら小鳥沢ニュータウンに隣接する丘陵状のピークだ。
今ほど宅地化される前だが、わたしも西側から取りつき薄いやぶをこぎ山頂まで登ったことがあった。冬ならば血行促進ウオーキングにほどよく汗をかく。むろん、長靴で大丈夫。小野松山は、まるで子供のころ遊んだ秘密基地そのものだ。たった15分で登ってしまうが、松と大岩の山頂エリアを一周し、ダム湖側に下ると、ゆうに1時間はかかる。
北松園のドミニカン修道院を過ぎて小野松橋手前を左折、橋をくぐってすぐ車を止める。ここいらは、ダムサイトの公園化にともない整理された湖畔のオアシスで、小野松山へのスタート地点として都合がきく。
園地ではまっさきに小野松観音と鐘つき堂が目に飛び込む。畑の上部に赤い鳥居と観音堂、近くに小野松清水も湧きでている。2基の土盛りは、盛岡市緑が丘の上田一里塚から、玉山地区に入って1番目の小野松一里塚だ。あまり目立たないけれど、ダム湖周辺の歴史を伝え継ぐ証なので探してみよう。
「それにしても、なぜここに観音様が?」当初、わたしは不思議に思っていた。川又地区の住民が移転し、四十四田ダムが完成したのは昭和43年だった。となれば奥州街道が湖底に没して40年の月日が流れたことになる。
この旧街道を知る人は、今も観音橋から岩姫橋にむかって延びる1本のラインを想像できるという。山頂に二つの大岩をもつ小野松山は、かなりの威厳だったとみえる。岩の一つに「奥宮」を祀(まつ)り、もう一方を「胎内くぐりの大岩」と名づけた。旅路が安全でありますように…と、旅人は小野松山を観音様に見立てて手をあわせていたに相違ない。
広場から道なりに北へ100メートル進むと、カーブの右手ガードレールに「小野松観音・奥宮」の看板がくくりつけてある。三愛オートの裏から広い林を行き、急坂をまっすぐ登って尾根にでる。分岐の左が奥宮と大岩で、「胎内くぐりの大岩」は右だ。どちらから巻いても山頂の三等三角点に行きつく。帰りは西のダム湖側を目指して観音橋近くの車道に下って公園にもどればいい。
小野松山のような身近な里山は、子供が好む遊びの基地だった。カラスが鳴くから帰ろう。ビューと、母のかん高い声が吹きあがる……「ごはんよ〜」
一陣の風に誘われ、川村さんも小野松山に幼い日の記憶を重ねたのだろう。
(盛岡市在住、版画家)
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