2009年 1月 3日 (土) 

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉111 望月善次 車中観察

 【啄木の短歌】

  乗合の砲兵士官の
  剣の鞘
  がちやりと鳴るに思ひやぶれき
     〔『一握の砂』370〕

  〔現代語訳〕一緒に乗っていた砲兵士官の剣の鞘(さや)がガチャリと鳴ったのに(ハッとして)、それまでの思いが破れたのです。
 
  【賢治の短歌】

  赭ら顔、黒装束のそのわかものいそぎ
  て席に帰り来しかな
     〔「歌稿〔B〕」802〕

  〔現代語訳〕赤ら顔で黒装束の、その若者は、ああ、急いで席に帰って来たのです。
 
  〔評釈〕今回から「汽車」にかかわる作品群を数回にわたって取り上げる。汽車が日本の近代化にとって大きな役割を果たし、その影響は、単に物理的なことにとどまらず、「時間観念」等の文化の深部にまで及んでいることには、先人たちの指摘がある。今回は、話者の車中観察の二首を取り上げた。啄木歌は、「砲兵士官」の「剣の鞘」の音によってそれまでの思いが破れた様子を歌ったもの。なお、「がちゃり」は、「かたい物どうしがぶつかって発するやや鈍い音」で、「軽い物が弱くぶつかったときの小さく鋭い音」である「かちゃり」と比較するとその特徴が明らかになる〔『くらしのことば擬音・擬態語辞典』〕。契機としては、囑目(しょくもく)の風景に基づいているかも知れぬが、まるでドラマの一コマのように仕上げるのが啄木の腕。賢治歌は、父と関西に旅行した時であり、短歌創作期としては、晩期に相当する。素朴な作風で、元「赤土」を示す文字である「赭」にまで納得させられる。
(盛岡大学長)

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