2009年 1月 11日 (日) 

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉3 小川達雄 入学宣誓式3

     二、百合の根を掘る

  中学を卒業した大正三年の六月、賢治は花巻の家にいて、将来への希望もないまま、こううたっていた。
 
   友だちの
   入学試験ちかからん
   林は百合の
   嫩芽萠えつゝ        一四五
 
   またひとり
   はやしに来て鳩のなきまねし
   かなしきちさき
   百合の根を掘る       一四六
 
  「友だちの 入学試験」というのは、間もなく始まる高等学校の入試のことで、それは七月八日身体検査、同十一日から学科試験の日程である。

  その「友だち」とは、花城小学校から揃って盛岡中学に進み、共に寄宿舎で過ごした、阿部孝と沢田藤一郎のことであった。阿部は第一高等学校の一部英文、沢田は同じく三部医学コースへの志願である。

  賢治はしばしばその二人と、夏休みには遠く花巻まで、三十二キロを歩いて帰省していた。四年生の時、賢治たちが起こした寄宿舎騒動により、寄宿舎からはみんな出されてしまったが、その後も三人は北山の清養院に下宿し、次いで近くの徳玄寺に移っていたらしい。

  ※これまで、寄宿舎を出された後の阿部、
   沢田の止宿先は不明であったが、昨年
   暮れに、ようやく沢田のことがわかっ
   た。佐伯清美氏「澤田藤一郎先生と宮
   沢賢治その3」にはこう記されている。
   「ある時澤田先生に次のようなことを
   お聞きしたことがあった。『中学生の
   時、賢治君と一緒にお寺に下宿してい
   たんだよ。」(九大医学部同窓会誌『
   学士鍋』第149号)

   阿部も同じ下宿だったのであろう。

  賢治は「入学試験ちかからん」とだけ云って、その結果にはふれていないけれども、在学中ほとんど級長を通した二人には、明るい見通しを抱いていたと思われる。それに、いま賢治のやって来た林のそちこちには山百合の若芽がさかんに萌えだして、夏日のみごとな花を予想させていた。ここでは、知らず知らず、賢治は友だちへの予祝をうたっていたといえよう。

  しかし、そうした明るい未来に反して、自分は進学を許されないのであった。賢治はひとりぼっちなのが悲しく、鳩のなきまねをした。賢治は遠い世界に飛び立つ、鳥と同じになりたかった。

  賢治の掘る山百合の鱗片は、うす甘くて苦い。その球根は、病後のからだを養うだいじな滋養物で、自分の分身のような、いとしい存在にも思われた。

  友だちの未来と自分の苦しさ。さまざまの思いが重なるばかりであったが、それは次にやってくる高農受験にとって、非常に大きなバネになったことに注目をしたい。

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