2009年 1月 13日 (火)

       

■  〈夜空に夢見る星めぐり〉225 八木淳一郎 ガリレオの贈り物(その1)

 ガリレオの偉業を記念して、国連やユネスコなどの提唱により今年西暦2009年は世界天文年と位置付けられ、わが国をはじめ世界中で天文のイベントや講演会が催されることになっています。それらを通して星や宇宙、さらには地球や人類への関心が深まるようにとの期待が込められています。

  イタリアの天文学者・物理学者ガリレオ・ガリレイが、望遠鏡を人類史上初めて夜空に向けたのは今から400年前の1609年でした。月にはクレーターと呼ばれるたくさんの凹孔や山などの険しい地形があることや、土星にはコブのようなものが付いていること(望遠鏡の性能の関係で輪には見えなかったのです)、木星のまわりを4つの小さな星が回っていること、天の川が無数の星の集まりであることなどそれまで誰も知らなかった宇宙の姿を次々と発見していったのでした。こうしたガリレオの業績は科学や天文学の分野にとどまるものではなく、混沌とした現代に生きる私たちや未来を切り開く人々のみちしるべとなる宇宙観をもたらしたのです。

  さて、地球は宇宙の中心ではないのだというガリレオの考えがキリスト教と教会の教えに反するとして、ガリレオは迫害・幽閉されて不遇な後半生を送ることになります。こうしたガリレオの生涯は、考えるべきもう一つのものをわたしたちに贈ってくれたといえるでしょう。それは、権威や権力というものについてです。

  人は誰もが一人で生まれ一人で死んでいき、その間、生命を推持するために人生を切り開いていく訳ですが、弱い生き物でもありますし、何か強大な力に頼ることができればと望むのは当然かもしれません。それが中世カトリックなどのような宗教の組織であったり国家権力であったり、さまざまな巡り合わせのもとにある人たちはその一員となって身の安泰を手にすることになります。そこで生じる問題は、人は置かれた立場によって思考も行動も影響されやすい生き物である点でしょう。個人的にはいわゆるいい人といわれる人であっても、権力者の地位を手にしたり、権力と深く結び付いたり、あるいは権力に守られるような立場に立つと、大概がいつの間にやら横暴になり、一般市民(民間人)に対して居丈高に振る舞うようになるのはいなめないことです。現代においては中央、地方を問わす公的機関といわれるものや巨大な組織に属し庇護(ひご)されている人たちは、一人の自分というものをそっと見つめ直し、人生の名に値するかを常に問うていくことが何より大切なことかもしれません。

(盛岡天文同好会会員)

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