2009年 1月 15日 (木)

       

■  〈啄木の短歌、賢治の短歌〉115 望月善次 比喩の「心地」

 【啄木の短歌】
  しつとりと
  水を吸ひたる海綿の
  重さに似たる心地おぼゆる
       〔『一握の砂』70〕

  〔現代語訳〕何となく、しっとりと水を吸った海綿の重さに似たような気持ちがするのです。
 
  【賢治の短歌】
  シベリアの汽車に乗りたるこゝちにて
  晴れたる朝の教室に
  疾む
        〔「歌稿〔B〕」421〕

  〔現代語訳〕シベリアの汽車に乗ったような気持ちで、晴れた日の朝の教室に苦しい思いをしているのです。
 
  〔評釈〕比喩(ゆ)における「指標(しひょう=しるし)」とは、その語が在ることによって比喩であることが判然とするものである。「ごとし」はその代表格。抽出歌における「心地(こゝち)」は、いずれもこの「指標」となっている。啄木歌は「我を愛する歌」の中のもの。ここでは、「海綿」は「重さ」となっているが、賢治の方は、「〔北いっぱいの星ぞらに〕」〔『春と修羅(第二集)』〕において「海綿体」に対して「カステーラ」のルビを付けているから、賢治の「海綿」には「柔らかさ」の一面があったことは間違いあるまい。意味のみで言えば「似たる」はなくても通じるのであるが、こうした語句が挿入されるのは短歌定型に沿うもの。賢治歌は、盛岡高等農林二年生に対応する「大正五年十月より」の作品。翌々年の大正七年には例の「シベリア出兵」も起こるので、背後には、そうした雰囲気も関係しようか。「疾む」は、古典等に在る「苦しい思いをする」を採った。

  (盛岡大学長)

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