2009年 1月 21日 (水)

       

■  〈都市の鼓動〉25 中澤昭典 多様な感性と価値観の存在

 フランス人の日本研究家オギュスタン・ベルクは著書の中で、日本と西洋の都市や生活文化の違いをさまざまに対比している。

  例えば、都市とは、西欧では城壁に囲まれて閉鎖的で、教会という大切なものを中心に配置し、直線的な区画割りと左右対称を基本とした規則性を追求している。これに対し日本の都市は外部との境界線が曖昧(あいまい)で開放的であり、神社のような大切なものは奥に隠して配置し、不規則で非対称な区画割りがなされている、と。

     
   
     
  家の造りに関しては、西欧では家はブロック塀で囲うことなどなく、外に向けては開放的であるが、家の中は個室に区切って閉鎖的である。これに対し日本の家はこれとは逆に、塀や生け垣で境界を区切り外に対しては閉鎖的であるが、家の中は障子や襖(ふすま)という曖昧な仕切りで開け放つことができ、内側に向けては開放的である、と。この違いは、地形、気候、地理や歴史等が複雑に影響し合って生まれてくると考えられている。

  さて、都市の問題、あるいはもっと身近なまちづくりや地域の問題を考えるときに、多様な意見が存在し合意を得ることが難しい場面が多々見られる。「古い建物を保存すべきか、新しいものに建て替えるべきか」、「建物の高さや色を統一すべきか否か」、「道路を広げて交通をスムーズにすべきか否か」等々。

  例えば、建物の高さや色を統一することはヨーロッパの都市に見られ、多くの日本人観光客はこれを、規則的ですっきりしてきれいだと感じるようだが、わたしはこれを、ゆとりがなく、重苦しく、息苦しいと感じた。

  日本の都市に対する外国人の評価も、雑然として統一感がなく美しくないという評価の一方で、多様性と意外性を内包し居心地が良く落ち着きを感じる、という評価もある。このように同じ物事に対してそこから感じ取るものは一つではなく多様である。

  都市とは、そこで生まれ育った者だけでなく、ほかの地域に生まれ、異なる生い立ちを経た人間が寄り集まって活動し生活する場である。このため利害だけでなく、多様な感性や価値観が存在していると考えなければならない。

  このような視点がないと、ややもすると、自分やその周囲の主張するところが、社会全体が合意する方向であるはずであると言う思いこみから、その主観におぼれて、他を軽視したり排除したりするようになりがちになる。

  今盛岡を始めとして全国の中核都市で、新しい中心市街地活性化法にかかる基本計画の策定がなされているが、この多様な感性の存在を認識した上での十分な議論が必要なのは言うまでもない。

  都市計画やまちづくりは、長い時間の中で営々と造り続けるものであり、国の思い付きのような予算や事業工程に合わせて拙速のそしりを受けた、他所の轍(てつ)を踏むことがないようにしなくてはならない。

  われわれ市民も都市の問題やまちづくりについては、多様な意見が存在することを認識した上で、醒(さ)めた視点を持ちながら、当事者として大いに関心を寄せていかなければ良い街はできてこないと思う。

  (技術士)

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