2009年 1月 25日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉7 小川達雄 入学宣誓式7

     四、続・氏名点呼

  盛岡高農の入学試験最初の日、本館受付で受験生の氏名点呼をしたのは、林学科助手の小森彦太郎である。この時のことを、小森はこう記していた。

  「私はその時、受付に居て呼出係をして
  おつたのですが、宮沢君を呼出した時、
  直ぐ返事がなかつたのです。二度三度呼
  んでもやはり返事がありませんでした。
  私はつい立つて、強く『宮沢』と呼びま
  したら、誰れかが『オイ君、呼んでるぞ』
  と言う声がするのでそつちを見ると、呼
  ばれた男は私の机のすぐそばにおるでは
  ありませんか。

   私は、『どうして返事をしないのか』
  と聞きますと、その男は、

   『宮沢、宮沢と言つてもいくらもある
   ではありませんか。一体宮沢なんと言
   うのですか。呼ばれたので、私はここ
   に来ているのです』

   と相当キツイ口調で言いました。成程
  もつともな言い分でもありましたが、い
  ささか私はあきれてしまつたのです。そ
  の時友人らしいのが、『宮沢、宮沢と、
  何回呼んでもほかに返事がなければ、大
  抵自分だと言うことが分るではないか』
  と言つておりました。」(「高農時代の
  賢治」『集成I』)

  この時、傍にいた友人らしい男とは、いっしょに盛岡中学を卒業して同じ農学二部に入った、原勝成であったろう。原は賢治をたしなめているが、いかにも賢治の言い分では堅苦し過ぎ、大勢の受験生を整理する場には馴染みにくかった。この日盛岡会場に集まったのは、北海道から東北一円にかけての受験生、約九十五名ほどである。

  ※同時実施の東京会場(一ツ橋高商)は
   約九十名弱、京都会場(京都師範)で
   は約百三十名が受験。

  初めての受験会場で、それも大勢の前で場違いなことを云ったのであるが、賢治自身にしてみれば、−点呼の時は姓名をきちんと呼ぶ−ということは、いつの間にか身についていた、だいじな考えであった。

  森荘已池氏は昭和二十一年に賢治歌集を出版したが、その解説でこう述べている。

  「賢治の短歌の独自性のうちで、もつと
  も目に立つていちじるしいのは、その用
  語であらう。たとへば一本の雑草を歌に
  するときでも、賢治は決して『名の無い
  草』とは書かない。

   頻繁に出てくる鑛物の名にしても岩石
  の名にしても、賢治は、いやしくもあいま
  いな一般的な抽象名詞を使はずに、はつ
  きりと固有名詞をあげてゐるのである。
  他人の人格を無視しないやうに、歌ふ對
  象の格を尊重してゐるやうにさへ見える
  のである。」(要約)

  これは賢治の本質をとらえた、すぐれた意見であるが、賢治は自分のそうしたひたむきな姿勢を、それこそナマに出してしまったのであろう。そして、その後の体格検査では、賢治はもっと突飛な行動をとってしまうのである。

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