2009年 1月 31日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉8 小川達雄 入学宣誓式8

 受付にいた小森彦太郎は、氏名点呼に続いて、こう記している。

  「私は、立つている宮沢君に『口頭諮問
  所に行きたまえ』と言いましたが、見る
  と羽織に紐がついて居りません。私は宮
  沢君を呼びとめて『羽織の紐がないと、
  点数が落ちるぞ』と言いました。実際そ
  の頃は、服装が悪いと点数に影響したも
  のでした。
   私は、宮沢君の次の人を諮問所に行か
  せ、急ぎ小使さんをやつて羽織の紐を借
  りて来させました。宮沢というのは一寸
  変つてるぞとその時私は思いました。
   こうして無事に口頭諮問も終り、次が
  体格検査でした。その時の話しが、後で
  みんなの話題になつたのですが、その時
  賢治は、猿又も何もすつかりとつてしま
  い丸裸になり、袴や着物は羽織に包んで
  帯でいわえ、それを小脇にかかえ闊歩し
  てその時の学校医後藤尚五郎先生のとこ
  ろにやつて来たというのです。後藤先生
  もこれにはさすがに驚いて『お前は何と
  言う失けいな奴だ。抜身をぶらぶら下げ
  て…素裸になるにはまだ早いぞ』とどな
  つてしまいました。」

  賢治の入学願書用の写真を見ると、縦縞の袷に絣の羽織という普段着の姿で、羽織に紐などはついていなかった。賢治は花巻からやって来た時のまま、全く〔着た切り雀〕の無頓着でやって来たのであろう。

  体格検査会場は、本館の二階講堂である。受験生は最初に記録用紙を受け取り、身長、体重、胸囲(常時盈虚の差)、視力(左右)色盲、眼疾、等の検査を受けてゆく。賢治はその後の項目になった時、丸裸になったのであろう。記録用紙の最後には、「呼吸器 神経系 血行器 皮膚 言語」の項目があった。

  するとこの丸裸の一件と並んで、朝方の受付では、きちんとフルネームで呼んでほしい、という賢治の要望があったわけであるが、こうした事柄は、二つ併せて考えてみると納得がいく。

  じつは、名字だけではなく姓名で、という賢治の発言は、

  (それは森荘已池氏が説いたように、賢
  治には植物、鉱物の名にしても、はっき
  り固有名詞で言う態度があった)

  と、すぐに理解したけれども、しかしもう一つ、どこか落ちつかなかったのである。折々、思い出しては考えていたが、それがにわかに、ハッと分かったことがあった。そのヒントは、リンゴに感動した話である。

  −賢治はリンゴを秋の北上川に落とし、
  裸になって、きれいだ、きれいだ、とい
   っていっしょに泳いだ−

  盛岡高農では教浄寺に続く気持ちの高揚があり、検査会場で賢治は、ひたすら一生懸命になっていたのであろう。それで、ふつうの常識は飛び越えてしまい、思ったまま行動したにちがいない。盛岡高農は、ひたむきな賢治がこれから新たに学ぶ、希望の天地なのであった。

(次は、学科試験)

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