2009年 1月 31日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉93 岡澤敏男 ベーリング鉄道から「銀河鉄道」へ

 ■ベーリング鉄道から「銀河鉄道」へ

  童話「氷河鼠の毛皮」をオペラ流に読めば2幕構成のドラマで、舞台はイーハトヴ駅からベーリング市行夜行最大急行の車内、主な登場人物はイーハトヴのタイチ(顔の赤い肥った金持ち紳士)、葉巻をくわえた紳士(役人風)、黄いろい帆布を着けた青年(船乗り風)、痩せて赤髭の男(じつはパルチザンのスパイ)。時代背景は、前回述べた通りシベリア派兵の後遺症がくすぶる大正12年12月下旬のことです。

  吹雪の前奏曲とともに幕が開き、午後8時ベーリング行の最大急行はイーハトヴ駅を発車します。そして夜明けには車窓から氷山を見たというから、およそ9時間でカムチャツカ半島付近に到着しているので、まさにベーリング鉄道はすごい夢の超特急なのです。いったいベーリング鉄道の路線はどのように敷設されているのでしょう。

  賢治が大正12年10月作の詩篇「一本木野」に「電信ばしらはやさしく白い碍子をつらね/ベーリング市までつづくとおもはれる」と書いており、また『注文の多い料理店』広告の自筆チラシ(大正13年11月発行)のなかに〈不思議な都会ベーリング市まで続く電柱の列〉と書いています。

  この〈不思議な都会ベーリング市〉の発想は、大正12年4月執筆の「氷河鼠の毛皮」に初出されているので、このあたりが発想の起源かと思います。そしてこの発想を促したのは、まぎれもなくシベリア派兵だったと推量されます。

  賢治は日本が出兵した南シベリアから地図の上で北北東にたどり、俯瞰(ふかん)した北極海・ベーリング海のエリアに〈不思議な都会ベーリング市〉を発想したとみられます。いかにも北方志向タイプの賢治ならではの幻想というべきです。

  もう一つ、気になるのはベーリング鉄道が軌道列車か無軌道列車かという問題です。

  「一本木野」の詩に描かれている津軽街道の〈電信ばしら〉の存在は、この列車にエレキを供給する〈電柱の列〉を意味するのでしょう。つまり新幹線のように電力で走る有軌道列車を指しています。

  無軌道で天体空間を走る「銀河鉄道」は〈岩手軽便鉄道〉の発展形とみられているが、〈ベーリング鉄道〉の壮大無比な構想から転生したと考えても違和感がなそうにみえます。

  それはさておき、ベーリング鉄道に電気を供給する電柱の列は津軽街道から北海道を縦走し、千島列島をたどってカムチャツカ半島に達し、やがて幻のベーリング市まで連なっているのでしょう。なお大正14年2月作の詩篇「奏鳴的説明」の下書稿をみると、この表題を〈映画劇「ベーリング鉄道」序詞〉とメモされており、ベーリング鉄道へ対する賢治の格別の執着が読み取れるのです。

  このドラマの第1幕は貪欲に北極の黒狐を狩猟する金満家タイチの人物像を、乗客に対し傍若無人な放言を演じさせ照明をあてている。日本は日露戦争以降、カムチャツカ沿岸の漁業権を9割も獲得し、海岸には日本の水産会社の冷凍・缶詰工場がずらり並んでいました。

  このようにカムチャツカ・ベーリング海漁場を占める当時の横柄な日本の資本家をタイチに演じさせたのでしょう。そり夜明けのカムチャツカ半島付近まで来たベーリング夜行列車がにわかに停車するのです。

  乗客は故障ができたかと顔を見合わせます。そのとき外部ががやがやして扉が開き、ピストルをもった20名ほどの連中が闖入(ちんにゅう)して来ます。第2幕のドラマは、このような緊迫した車内で始まるのです。


  ■童話「氷河鼠の毛皮」より抜粋(4)

  三番目のが言いました。

『おい、立て。きさまこいつだなあの電気網をテルマの岸に張らせやがつたのやつは。連れてかう』

『うん、立て。さあ立ていやなつらをしているなあさあ立て』

  紳士は引つたてられて泣きました。ドアがあけてあるので室の中は俄に寒くてあつちでるこつちでもクシヤンクシヤンとまじめ腐つたくしやみの声がしました。 二番目がしつかりタイチをつかまへて引つばって行かうとしますと三番目のはまだ立つたまゝきよろきよろ車中を見まはしました。
『外にはないか。そこのところに居るやつも毛皮の外套を三枚持つてるぞ』
『ちがふちがふ』赤ひげはせはしく手を振つて言いました。『ちがふよ。あれはほんとの毛皮ぢやない絹糸でこさへたんだ』

『よし、さあでは引きあげ、おい誰でもおれたちがこの車をでないうちに一寸でも動いたやつは胸にズボンと穴をあけるから、さう思え』


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