2009年 2月 14日 (土)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉127 望月善次 感情誘発の装置

 【啄木の短歌】

  朝霧のほのになりゆく思出をすればや
  かなし老の迫るや
  〔『歌稿ノート 暇ナ時』明治四十一年七月十一日〕

  〔現代語訳〕朝霧が薄くなって行き(朝を迎えたようななつかしい)思い出があるからでしょうか。(それだけに一層)老いが迫ることが悲しいのです。
 
  【賢治の短歌】

  何もかも
  やめてしまへと半月の空にどなれば
  落ちきたる霧。
       〔「歌稿〔B〕」380〕

  〔現代語訳〕「何もかも止めてしまえ。」と弓張りの月が出ている空に向かって怒鳴りましたら、落ちて来た霧なのです。
 
  〔評釈〕「霧」は賢治短歌において好まれて使用される素材の一つであり、十五を越える作品を挙げることができる。今回は、感情誘発の装置として用いられている「霧」を取り上げた。もっとも、啄木作品は、「朝霧のほのになりゆく思出」とあるから、実景ではなく比喩(ゆ)表現の一部だとすることもできる。しかし、比喩の場合であっても、いったん表現されると、そのものが現実世界において実際に起こったか否かを越えて、イメージとしては残り、「実在」するというのが文学表現の特徴である。賢治歌は、「歌稿〔B〕」冒頭の「明治四十四年一月より」の中の作品。「半月の空にどなれば」の部分は、「歌稿〔A〕」においては、「弦月の空にむかへば」であった。もちろん「霧が落ちて来た」のは、実際は、話者が怒鳴ったからではない。こうした何でもない因果関係を前面に立てて作品を成立させるのも文学の方法であり、それを短歌の形にできる賢治の力量もあったのである。
  (盛岡大学長)

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