2009年 2月 15日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉13 小川達雄 入学宣誓式13

    九、入学宣誓式

  大正四年四月十六日(金)は、賢治たちの入学宣誓式が行われた日である。この日、朝の気温は零度以下であったものの、挙式の頃には十度まで上昇した。

  この日、新入生八十九名は午前十時、第一号鐘によって入場し、今日は講堂中央、四列に並んだ長椅子に、右から農学一部、農学二部、続いて林学科、獣医学科の順に、二人掛けで着席した。生徒課員による氏名点呼の後、第二号鐘によって職員入場、演壇に近い右側に着席。高農では来賓、保護者等の来場はなく、これは新入生と職員に限られた、厳粛な儀式である。

  と、校旗を奉持した旗手を先頭に四名の生徒が現れ、新入生に向かって正対した後、旗手は黄・青・赤三色の校旗を、演壇右側の銀色の脚立に樹てた(賢治はこの二年後、旗手としてその役を果していく)。

  ついで佐藤義長校長、式場に臨場して一同敬礼。校長は挙式の旨を告げて教育勅語を奉読。次に入学試験委員から、本年の各科別志願状況と合格数、新入生の出身県別を報告。

  そして学校長告辞である。

  塩井義郎は「眼鏡を掛け、太い髭を生やした佐藤義長校長が金モールの礼服を着られて勅任官の威容を示して訓示を与えられた」というが、残念ながらその内容は伝えられていない。しかし当時の佐藤校長の講演や発言からすれば、

  −世界の中における日本の発展を軸とし
  て、農事改良すなわち収量増加の上に経
  済的創造を行うよう、現下の農業政策推
  進の必要性を説き、新入生の努力と発奮
  を促したもの−
  といえるように思う。

  続いていよいよ、生徒代表の誓文朗読である。賢治が自分で考え、毛筆でていねいに書き上げた巻紙の一書。これをぜひ目にしたいと思ったが、岩手大学元学長舟越昭治氏によれば、終戦時にそれ以前の書類は整理されてしまい、その後の年史作成の時も、それは発見出来なかったという。致し方がないので、賢治の志望理由にふれた、小森彦太郎の一文をあげておく。

  「その時の諮問官は林科の助教授の三浦
  第五郎と言う先生で、『どういうわけで、
  本校を希望したか』と質した。

   賢治は、『日本の国は人口がますます
  ふえて、米が足りなくなる。良い米を沢
  山とれるようにして国民生活を安定させ
  たい。それにはどうすればよいか、その
  事を勉強したいからだ。』と、はっきり
  答えた。」(『研究資料集成』I)

  三浦先生はこの答えにすっかり感心した、というが、賢治はこれを骨子として、盛岡高農創設の時の重要課題、

  −東北農業不振の原因である冷害の克
  服、農業技術の振興−
  という観点を加えた、と考えられる。

  賢治は朗々と響く声で、職員・新入生の心に残る、立派な誓文朗読を行ったはずである。続いては宣誓書署名。(次に続く)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします