2009年 2月 21日 (土)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉130 望月善次 落ちてくる瓶

 【啄木の短歌】

  いと高き際より青き瓶一つ我をめざし
  てましぐらに落つ
  〔『歌稿ノート 暇ナ時』明治四十一年七月十六日夜〕

  〔現代語訳〕大変高い(空の)果てから、青い瓶が一つ、私を目指してまっしぐらに落ちるのです。
 
  【賢治の短歌】

  どもりつつ
  蒸留瓶はゆげをはき
  ゆがみてうつる
  青ぞらと窓
    〔「歌稿〔B〕」545〕

  〔現代語訳〕吃りながら蒸留瓶は湯気を吐いていて、(その蒸留瓶に)歪んで(窓の外に見える)青空と(この室の)窓とが写っています。
 
  〔評釈〕「瓶」を素材とする作品二首を抽出した。啄木作品は、「天の際から、瓶が自分を目掛けて落ちて来る」イメージを作品化したもの。なかなかのイメージであるが、視点論からすれば、結句「落つ」が「落ち来る」となるべきところ。もちろん、これには、五七五七七という短歌定型の問題もあるのだが、その点を差し引いても、イメージが先行して切実感が不足していることが、この結句にも現れているというのが筆者の解釈。賢治作品は、初出は、『アザリア』第二号に発表された「蒼き空ゆがみてうつるフラスコのひたすらゆげをはきてあるかな」。「歌稿〔A〕」における「どもりつつ蒸留瓶はゆげをはくゆげの硝子には歪む青ぞら」を経て抽出歌の形となっている。「どもりつつVS蒸留瓶」が結合比喩(ゆ)になっているわけであるが、先の啄木歌も「(瓶)VS〈我をめざし〉」と同じ結合比喩となっていて、どちらも「瓶(蒸留瓶)」に意思を持たせている一致が興味深い。
(盛岡大学長)

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