2009年 5月 4日 (月)

       

■ 〈トシコズ・ドリーム〉16 照井顕 孤軍奮闘の孤軍!

三田明という歌手が歌っていた「みんな名もなく貧しいけれど」という、定時制高校をテーマにした、シングル・レコードの歌詞カードを同級生だった拓実君に見せられてから、レコードを買って聴くようになった僕。高校を卒業した年の、67年の5月5日に、陸前高田市民会館の会議室で、金繁レコード店から借りた、3点セパレートのステレオを使い、自分が買い集めていた100枚足らずのシングル盤のリストを、ガリ版刷りにして、集まった67人の人たちに配って、リクエストをしていただくという、レコード・コンサートを聞いた。

  「希望音楽会」と題して始めたその音楽鑑賞会は、以後7年間も続けたし、また、レコ・コンの最盛期には、ステレオメーカーのトリオ(現・ケンウッド)から、最高級のコンポーネントを借り、陸前高田市民会館の大ホールで、超ステレオ・レコード・コンサートと銘打って開いたりもした。

  その最終回74年秋には、現われ出したオーディオ・マニアたちが持ち寄った、アンプや自作の大型スピーカーなどが並んでいた。そこへ、東京帰りの先輩が、これをかけてくれませんかと言って持ち込んだのが、秋(穐)吉敏子・ルータバキン・ビックバンドのデビューアルバム「孤軍」だった。

  僕の体が震えるほどの衝撃が走った!、そのビッグバンドの演奏は、さらに、音楽とは何かを考えさせたのだ。終戦30年を過ぎてルバング島から救出された元日本軍少尉・小野田寛郎氏が軍服を着て敬礼するニュースを見た穐吉さんが、激しいショックを受けたことと、アメリカで孤軍奮闘してジャズを演奏し続けてきた自分をオーバーラップさせこの曲を書いたということを、あとで知った。

  縁とは不思議なもので、その孤軍を聴かせてくれた人の名は「軍記」さんだった。以来僕は、穐吉サウンドを杖(つえ)とし果てしなく深いジャズという都会のジャングルに囲まれながら「日本人のジャズ」にこだわり35年が過ぎた。

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