2009年 5月 12日 (火)

       

■ 〈古都の鐘〉34 鈴木理恵 ウィーンの盛岡人

     
  川村校長先生(左端)と小学4年生の子供たち、右端は伊藤慎敬(みつのり)先生。伊藤先生も大学時代を盛岡で過ごされたそう  
 
川村校長先生(左端)と小学4年生の子供たち、右端は伊藤慎敬(みつのり)先生。伊藤先生も大学時代を盛岡で過ごされたそう
 
  知り合いのお嬢さんが、ウィーン日本人学校に通っている。何でも今度の校長先生は盛岡の人なんだって?

  「ああ、しゅんちゃんのことね」

  しゅんちゃん?!−こんな風に親しみを持って生徒に呼ばれている先生とは、どんな人なんだろう?5月のある晴れた日、その「しゅんちゃん」−川村俊校長先生−にお話を伺うため、興味津々で日本人学校を訪れた。

  「いやあ、どうもどうも、ようこそいらっしゃい」穏やかな口調、あたたかな眼差し。物腰の柔らかさは、こちらをすぐにほっとした気持ちにさせてくれる。校長先生というより、親せきの優しい伯父さんに会ったような感じだ。

  川村先生は、昨年盛岡より赴任してこられた。直前までどこに派遣になるかわからなかったと言う。「ブラジルとかアフリカを、なんとなく予想していたけど、ウィーンとはびっくりしたね。ぼくでいいの?という気持ちだった」なんとも腰が低い。

  ご家族の反対はなかったんですか?「なかったね。妻もついてきてくれました。岩手の女性だしね(!)」川村先生は茨城県出身だが、岩手で教鞭を取り26年になるという。金田一、二戸福岡、葛巻江刈、久慈山根、そして盛岡は城東、下橋と県内の中学校をあちこち回られた。

  まずは盛岡賛美に花が咲く。わたしも下橋中出身ということもあり、特に学校傍らの、中津川近辺のことに話は集中。「校舎4階からの眺めにね、あの清らかに流れるのを見て癒やされたね。川沿いの散歩道とかね、城跡とか、寺町とか、盛岡は何というのかな、ただの城下町じゃない。文学のかおりがする。ぼくみたいに文才もなくても、なんか詩でも読めそうな気になるね」

  そして校長室の窓を見やる。「あそこにね、桜の木のあいだに、小さい木が見えるでしょう。リンゴの木を植えたんです。盛岡とウィーンは、気候とかいろんなところが似ている。子供たちに、リンゴの薄いピンクの、清楚(せいそ)な花っこ見せてやりたい、と思ってね」花をつけた木を、子供たちが自分たちで見に行っていたと、うれしそうだった。

  ウィーンでの生活はどうですか?「いやあ、素晴らしいね。自然が豊かで、みんなが季節を大事にしていてね。今はアスパラガスでしょ。今しか食べられないからね。ちょっと前は行者ニンニク。秋になったら鹿の肉。そういう旬を大切に、自然と一緒に生きて、楽しんでいるのがいいね」

  お住まいは、ベートーべンの遺書の家からほど近い、ハイリゲンシュタットだそう。「家からちょと出るとカーレンベルグの山があって、ヌスドルフの古い町並みが残ってて、休みは散歩してますよ。ウィーンは日曜日はお店が全部閉まっているでしょう、週1回、こうして流れを止めるのはいいね、日本もやるべきだね。時間に追い立てられない。カフェに入ってもコーヒー1杯で何時間も粘っていられる。老人たちもおしゃべりして食事していてね、こういうゆっくりしてて、なんか人生を楽しんでいるっていうのがいいね」目をきらきらと輝かせて語る先生こそ、人生を味わっていらっしゃるのが感じられる。

  「音楽がここには本当に身近にあるね。この間もね、バスを待っていたら、近くの教会から音楽が聴こえてきてね、何かと思ったらコンサートをやっていたんです。音楽をかしこまらないで、ほんの少しのお金で聴くことができて、いいなと思うね」

  ウィーンに来て、岩手の落ち着いたよさを、あらためて実感するという。「岩手の自然を大事にするべきだね。その宝の山を、後世に残していかなくちゃね」地方には地方のよさがある。何も都会の亜流になることはない。

  ウィーン日本人学校の生徒数は小学1年生から中学3年まで、合わせても45人と少ない。それを利点として、一人一人をじっくり見ることができる。いわば家族のようなものだ。ここで岩手で経験した僻地教育が生きてくるという。「自分で手を尽くせる大きさだからね、自分の家みたいなもので、おらほの学校という意識がある。子供を大事にして、愛して、いいものを見せてあげたいなと思うね」リンゴの木もそうであるし、校門から校舎へ至る舗道には、川村先生が朝早くに来て自ら植えられた花壇があった。

  「生徒の家族によっては、お父さんの仕事が忙しいのか、夏休みも外に出られない子もいる。去年はね、学校の木の剪定(せんてい)を2日がかりで有志を募ってやりました。自然にふれる良い機会になるかと思ってね。昼は学校の調理室で、妻がそばっこゆでて、みんなで食べてね」岩手の感じですね、川村先生。ほら、まんずあがって、そばっこひとつ食ってったらいがんすべ!

  「今年は学校の校庭に寝てみたいって言う子供がいてね。寝袋がいっぱいあるからやってみようかと思ってるんだけど…」

  親の仕事の関係か、まず2〜3年で子供たちは入れ替わる。教職員も2〜3年の赴任である。「だからね、出会いを、一瞬一瞬を、大事にしたいです。そうじゃないともったいないからね」そう笑う。

  校長室の一角には、「こころに花を、ひとに愛を」の書があった。その実践があるからこそ、「しゅんちゃん」と子供たちから慕われるのであろう。

  肯定感にあふれた、かといって楽観主義というのでもない、過ちも黙って受け止めてくれるような、人柄のあたたかさがにじみ出ているような方だった。それは岩手の風土に共通するものがあると思うのは、わたしの郷土へのひいき目だろうか。

  (ピアニスト)

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