2009年 6月 20日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉113 岡澤敏男 顔ぢゅう針の巨きな犬

 ■顔ぢゅう針の巨きな犬

  賢治が花巻農学校の生徒を引率して小岩井農場に遠足をした大正14年5月7日(木)は五月晴れだったらしく、農場の北面には切り絵のような岩手山の残雪がかがやいていました。

  遠足は全校職員生徒(1、2年全員で90名)で行われ随員に配属将校(陸軍少尉)の姿もみられました。それは大正14年4月1日に全国公私立中学・師範・高専に軍事教育実施が省令決定し、4月13日付で陸軍現役将校学校配属令が公布(勅令)されたことによるもので、24日に県内各校に配属将校が赴任し花巻農学校には陸軍少尉が赴任したのです。

  その配属少尉がこの日の遠足に随行し、書記が事務所へあいさつしに行っている間「約十分間分れ(解散)」と生徒たちに号令をかけたのでした。生徒たちは芽を出したばかりの芝生にどかどか踏み込んだり、馬場の囲いの中を駆け回ったりしたので、農場通の賢治は問題を起こしかねないとハラハラするのです。少尉(軍人)の無神経さを指弾する先駆稿に注目したい。
 
  やはらかなチモシーの上
  や
  調馬所の囲ひのなかを
  生徒らがかけ歩いては
  あるひはかんじゃう問題
  だ
  約十分間分れだなんて
  あんまり早く少尉がやっ
  てしまったもんだ
  ところがやつは膝の上ま
  でゲートルをはき
  水筒などを肩から釣って
  けろんとそらをながめて
  ゐる
       下書稿(三)

  詩の後段は生徒達が羊舎見学する場面を描く。羊舎を出てきて「羊の眼が蛍みたいに光っていた」と驚く生徒もいたが、なかには石を投げる悪童もいた。
 
   (あっ誰だ
   電線へ石を投げたの
   は)
  くらい羊舎のなかからは
  顔ぢゅう針のささったや
  うな
  巨きな犬がうなってくる
  し
  さすがの少尉も青ざめて
   (こら犬をからかって
    はいかん!)といふ
       下書稿(三)

  小岩井農場の羊の歴史は、明治32年に英国からシュロップシャ種68頭の輸入に始まる。さらにサフォーク(ブラックフェース)が加わり豪州からメリノ種20頭コリデール種10頭を大正14年に輸入しているから、4品種200頭余の羊が羊舎に収容されていたらしい。

  また「顔ぢゅう針のささったような」犬というのは牧羊犬のラフ・コリーを指していると思われる。現在の農場の牧羊犬はコリーより小型のボーダー・コリーが活躍するがこの牧羊犬の導入は近年のことで、以前にはラフ・コリーが羊と同居していたという。

  この牧羊犬の初代はシュロップシャ種と一緒に英国から輸入したものらしい。ラフ・コリーは長毛種で首にゆたかな飾り毛があり怒ると逆毛を立てるので「顔ぢゅう針のささったように」みえたのでしょう。

  農場中丸の赤松林の一角に本願寺という家畜の墓地があり大きな弔魂碑が建立されている。毎年10月12日には祭壇を設け、盛岡八幡宮の宮司を招き各事業部員が出席して弔魂祭が営まれる。墓地には牛や馬の墓標に混じり牧羊犬コリーの墓標もみられたのでした。

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