2009年 6月 27日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉50 小川達雄 盛岡の地質調査8

     六、観音の綾

  今回からは、盛岡の地質調査と平行して作られた、歌と散文を読むことにしたい。
 
  そら青く
  観音は織る
  ひかりのあや
  ひとには
  ちさき
  まひるのそねみ       三三二
 
  これは「大正五年七月」の最初に記されていたから、盛岡地質調査と同じ時期の歌、と考えられる。

  最初の三行について、亀井茂氏はいう。

  「入梅末期の雨上がりの晴れ間、きれい
  に洗われたばかりの輝く陽光の青い天空
  に、くっきり虹がかかっているさまを歌
  ったものではなかろうか」(『早池峯』
  二十五号)

  わたしの感想もこれと同じで、なおその虹のかかった時を特定してみようと、七月の雲、降水量などを、六時間ごとに調べてみた。すると、確定はできないが、まずは十七日の午後、賢治の胸にふとよぎった思いであった、と見ることができる。

  あとの三行、「まひるの」は少しむずかしいが、これは時間のことではなく、直訳では〔白日の下の〕ということで、「ちさき」とあるから、〔チラッと見えた〕くらいの意味合いらしい。大体の内容は

  −観音さまの虹がかかった空の一方に

  は、人にはそねみもあったのだな−

  これは深呼吸をするような、自分を落ちつかせるような歌であったと思う。

  この次、三三三番の歌では、夏休みになって人はみな故郷に帰った、とあったから、その残念さとか、あるいは「そねみ」というつよい単語からすると、賢治が耳にした人のゆきあいを云ったのかもしれない。

  この〔観音さま〕に続く、後からの挿入歌を読んでみよう。
 
   けむり立ち
   汽車は着くらし
   体操の教師
   剣抜き
   ねむ花咲けり
 
  汽車が着いて体操の教師が剣を抜いた、というから、それは三年生に〔捧げ銃(ツツ)〕の号令をかける前の動作である。やってくるのは、十九日午後零時三十分着の秩父宮、高松宮両皇子であった。盛岡高農の位置は、駅舎に向かって左、広場にすぐ続く、現在では果物店の前である。二年生の賢治はこの時、丸腰で、次の「頭(カシラ)ア左ッ」の号令を待っていた。

  ふつうは「頭右ッ」なのだが、この時だけは「左」で、賢治はどのように首をねじったのであろう?しかし賢治の脳裏には、さきほど通って来た開運橋右岸に咲いていた、合歓の花の記憶があった。そこがなんともおもしろい。−次はこの時の散文−

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