2009年 8月 16日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉8 丸山暁 自然がくれら宝石、レディースマントル

     
   
     
  「はい、ダイヤモンドをプレゼント」とハーブ籠(かご)を渡すと、かみさんは「ありがとう」と微笑(ほほ)んでくれる。この時期(5〜10月ころまで)、僕の毎朝の日課はハーブ摘みである。わが家の3、40種のハーブから新鮮な4、5種類を、ハーブティーのために摘む。

  そのハーブの中にレディースマントルが入ることがある。レディースマントルは、星型の葉っぱをして、朝露や葉脈から吸い上げた水分を蓄え、葉の中心に大きな輝く水玉を作り、葉の外周にはお姫様のティアラのように水滴をつけ、朝日を受けるとダイヤモンドのように輝く。

  かみさんは東京新橋生れの芝育ち、根っからの東京っ子。結婚したのは、ちょうどバブル真っ盛り、僕が銀座に本社のあるゼネコンに勤めていた時で、結婚したときから銀座6丁目の裏通りにあった小さな宝石店で、毎年宝石のついたアクセサリーをプレゼントしていたのだが、結婚5年目で会社を辞めて、放浪の旅に出て、今の暮らしに入り、彼女に宝石をプレゼントできなくなった。しかし、彼女は、僕が渡すハーブたちの中に、ダイヤモンドの輝きを見つけて喜んでくれる。

  実は僕の母も根っからの東京っ子だった。結婚して農学部出身の父に嫁ぎ、新婚旅行先で「お米は畑(多分水の枯れた田んぼ)で取れるものなのね」といって、おやじにばかにされたという逸話がある。

  満州で敗戦を迎えた両親(母は臨月だった)は、列車を強奪するように真っ先に敗走した天皇の軍隊に置き去りにされた数十万人の避難民として、ソビエト軍の戦車に追われ銃弾をかいくぐり(兄の産湯をくんだバケツには幾つも弾が貫通したそうだ)、乳飲み子を抱え命からがら引き揚げてきた。

  一時東京の実家で暮らし、宇都宮の農場で僕を生み、僕が2歳の時、広島の山奥の農場に移住し、都会っ子の母の田舎暮らしが始まった。

  家族で野菜を作り、食材には事欠かない農場のこと、何もない山奥で婦人雑誌片手に料理の腕を磨いた。昨日、8月15日は敗戦の日、僕の両親の戦争、戦後である。

  かみさんも今、田舎暮らしの中で、わが家の野菜たちや岩手の豊富な食材を使って、いろいろな料理を編みだしている。僕は子供の時も今も、田舎暮らしの中で、豊かな食生活を楽しんでいる。これは、僕の人生の経験則だが、都会育ちのお嬢さんが、レストランもファミレスもない田舎暮らしに入ると、地元の食材を駆使して、料理の腕を上げるようである。

  ちなみに、レディースマントルとは名前のとおり、女性を守ってくれるハーブである。感謝をこめて、これからも自然のダイヤの輝きをかみさんと天国の母に贈るとしよう。
(丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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