2009年 10月 11日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉14 丸山暁 田中の金精様

     
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  日本全国秋祭り、わが集落の「田中の金勢様」の幟(のぼり)も秋風にはためいている。金勢様のご神体がどんな形をし、ご利益は何かをご存知ない方は、年配の方々に聞いてください。多分、十中八九答えていただけるでしょうが、なるべく男性に聞いてみてください。

  この金勢様は今では大迫の観光地図にも載っていて、賽(さい)銭箱には毎年幾ばくかの小銭も投げ込まれているが、決して古いものではない。僕がこの地に来た17年前、隣のじいさん(Aじいさんとしておく)がなにを思ったか「金勢様作るから一緒にやるべ」と誘ってくれ、生まれたものである。いざご神体を掘り出す段になって、都会者を気どっていたわけではないが、あんなものいい大人がいじくりまわすものではないと、彼に任せておいた。

  東京にいた時は、山奥の集落の人たちは、閉鎖的村社会の没個性的な民と勝手に思いこんでいたのだが、なんのなんの住んでみれば、わが集落の人々のなんと個性的であったことか。かえって、都会のサラリーマンのなんと画一的なことか。

  Aじいさんは集落の顔役、ゴンボ堀り(同じことをくどくど言う)の独裁者と陰口をたたかれても、集落のもめ事を「まんず」と治めてしまう。Bじいさんは控えめ口数が少ないのだが、いざという時はAじいさんをも黙らせる。Cじいさんはいつもニコニコ山博士。Dばあさんは嫌われようが何にでも口を出す。

  このまま続ければ『田中集落人物録』になるのでやめておくが、まるで、日本の民俗学的フィールドワークの元祖『気違い部落週遊記』(きだみのる著)の世界を思わせた。

  僕の家の前には蝦夷(えぞ)の墓があるとAじいさんが言っていた。このあたりの田んぼは「女郎端」と呼ばれ、藤原黄金時代には金山労働者相手の女郎屋が建ち並びにぎわっていたという。

  今は過疎化のこの谷間だが、数百年前は銭座もあって大繁華街だったようだ。僕がこの谷間に来たのもAじいさんたちがあの世に行くのも時代の流れ、歴史・伝統・文化も動くもの。

  最後に、祝早池峰神楽(岳・大償神楽)ユネスコ無形文化遺産登録だが、その起源は9世紀初頭、早池峰神楽としては16世紀ごろ形作られたようだ。地域おこし村おこしで「ここには何もない」という声をよく聞くが、神楽衆や神楽の熱狂的ファンには味噌糞(みそくそ)一緒にするなとお叱りを受けるかもしれないが、人類200万年、人間の文明1万年の歴史では20年、500年は50歩100歩、あと数年すれば「田中の金勢様」も、日本全国からご利益を求めてバスツアーがやってくる霊場になるかもしれない。

  伝統・伝統行事と言われるものにも、ついこの間生まれたり、形を変えたり、長く途絶え復活したものが結構あるものです。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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