2009年 10月 12日 (月)

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉235 八重嶋勲 ではあるが、他に学費を得る途はないか

 ■308半紙 明治42年6月22日付
宛 東京市麹町区飯田町四丁目三十一、
               日松館内
発 岩手縣紫波郡彦部村

前畧学費金之義(儀)ニ付屡々請求被候処、去ル十六日迄事務引継ノ為メ残務ト共ニ引渡セザルヲ不得コトハ勿論高橋収入役ヨリ操替金迄完了スルニ於テ、七拾六円外農工銀行払込金等迄百三拾円ヲ要スル故不止得高利貸的ノ箱崎安太郎よリ五拾円カリ、畑中ヨリ拾三円カリ、高橋亦之助ヨリ拾八円カリ、一時凌キ郡監督立會之上立派ナル引継セシモノゝ、学費金送付ニ困難、殊ニ本年ハ桑葉下落五、六円ノ収入アルヤ否六ヶ敷コトナリ、加之耕次郎ハ試検(験)的養蚕飼育センコト故目下金ニ不相成、豫メ中野ヨリ九十円モ借金アル故迚モ願フコト不相成、他方面ヨリ借入センカ為メ毎日之様ニ出歩行無益ノ日数ヲ費シ(ス)ノミ、賣却スヘキモノトテ無之、実ニ心配ノミ致居候、去(然)リトテ今更大学半途ニサセルコトモ気ノ毒斯迄信用ナキモノカト残念ニ候、乍併今ヤ世間カ学費ノ為メ借金アルコトハ実際ヨリ世間カ尚ホ多額ニ見居ルモノゝ如シ、如斯ナル故嘸困難シ居ルナラント思ヘハ外聞モ苦労モ意トセス、家内ノ心痛被致居候、

大学法科ヨリ授業料拾壹円来ル廿四日迄ニ納付サレバ退校員トスル書之照會有之、種々手段講シ拾円至及(乃至)貳十円モ送金可致ニ付、不取敢授業料ヲ納メラレタシ、外ハ徐々ト送金スル見込ナリ、是ヨリ折壁山ニ関スル上納金操替金四、五十円受取ヘキモノアリ、作山新村長ヨリ村會ニ向テ慰労金貳百円モ請求スル計画モ有之、其他ニ於テモ徐々ト送金スル見込ナリ、極端ニハ衣類道具ノ質入スル見込ナリ、

目下赤澤村長ニ給料金拾五円ニテ交渉中ナリ、今ノ村長星川近礼(盛岡ノ人)赤澤村ニ不人望ノ為メ迂生ニ交渉相成タル、二戸郡淨法寺村ニ轉任サセ後任者トシテ赤澤村ニ入ルコトヲ作山ト長岡村ノ藤原ト郡ノ町村監督国分儀助ト言フ人紹介ノ労ヲ執ラレ、星山モ承諾、赤澤村會議員モ歩調揃ヘテ迎ヘ呉レ居リ候得共未タ淨法寺ノ方ハ野村ニアラスシテ星川近礼ナルカ故ニ少シク確答遅延シ、爾今確実不相成モ多分両三日中ニ確定スルナラン、就テハ却テ案外ノ幸福モ可有之候、必ラス落膽スル時期ニアラス、目下ノ困難ヲ暫時忍ハレ度候、若シ赤澤村ニ不行モ星川ノ満期即チ四十三年九月ハ必ラス相談ニ相成ル筈ニ候、夫共一切村治退隠ノ見込ミニテ耕次郎ヲ対手ニ養蚕ニ從事センカト考ヘモアリ、本年ノ如キ自家ノ桑ヲ以テ足ル丈養蚕セシモノナラ、四十日ニシテ貳百円位ノ利益容易ナルモノゝ如シ、其ノ他ノ月日ヲ農事ニ從事セシナラ是又村長以上ノ利益敢テ難キコトニアラスト被思候、

就テノモ他ニ学費供給ノ途ナキヤ、大家々庭ノ教師トカ財産家ト契約シテ学資ヲ借ルトカ何ニカノ補助受クル見込ナキヤ、一ヶ月貳十円以上三十五円ト云フ大金ニテハ迚モ今ヨリ二ヵ年ヲ継續シテ送金スルコト到底不出来ルコトニ候、□能々推考セラレ度候、右用事迄、余ハ後便ト申残ス、早々
   六月廿二日     野村長四郎
      野村長一殿

新聞ハ継續送付スルモ費用ニ困難ナルベシ此場合止シモ可ナリ
経済ノ困難不止得ル次第ニ候
 
  【解説】「前略、学費金の儀について、しばしば請求されているが、さる16日までに事務引き継ぎ、残務とともに引渡ししなければならなかったことと、高橋与之助収入役よりの操替金76円を完了する外、農工銀行払込金等まで130円が必要であったため、やむを得ず高利貸的な箱崎安太郎から50円借り、屋号畑中(長一の祖母の実家)から13円借り、高橋亦之助から18円借りて一時をしのぎ、紫波郡監督立会の上、立派に引き継ぎをした。しかし学費金送付に困難、ことに本年は桑の葉の売り値が下落、5、6円の収入あるかどうか難しい。これに加え、耕次郎(長一の弟)は試験的な養蚕飼育をしているため、目下金にはならない。前に屋号中野(長一の母の実家)から90円もの借金があるのでとてもお願いすることができない。多方面から借入しているため、毎日のように出歩いてはいるが、無益な日数を費しているだけである。売却するものもなく、実に心配のみしている。とはいっても今さら大学を半途にさせることも気の毒。自分はかくまで信用がないのかと残念である。

  しかしながら、今、自分が長一の学費のために借金していることを世間は実際よりなお多額に見ているようである。このようなわけで金策出来ず、さぞ困難しているだろうと思えば外聞も苦労も意にしないが、家族には心痛させている。

  東京帝国大学法科大学から授業料11円を来る24日までに納付しなければ退校処分とするという書面の照会があった。種々手段を講じ、10円ないし20円を送金するので、とりあえず授業料を納めよ。外は徐々に送金する見込みである。

  これから折壁山に関する上納金の操替金4、50円を受け取るものがあるし、作山久治郎新村長が村会に向って自分に対する慰労金(退職金)200円を請求する計画もある。その他でも徐々に送金することができる見込みがある。いざとなれば衣類や道具を質入れする見込みである。

  目下赤沢村長に給料15円で来てほしいとの話がある。今の村長星川近礼(盛岡の人)は赤沢村に人望がないため、自分に来てくれという交渉である。星川近礼を二戸郡浄法寺村に転任させ、自分を後任者として赤沢村長に入れることを作山久治郎と長岡村の藤原と紫波郡の町村監督国分儀助という人が紹介の労を執られ、星山近礼も承諾、赤沢村会議員も歩調をそろえて迎えてくれているが、いまだ浄法寺村の方は野村長四郎ではなく、星川近礼であるために少し確答が遅れ、まだ確実になっていない。多分両3日中に確定するであろう。

  ついてはかえって案外幸福であるかもしれない。必ずしも落胆する時期ではない。目下の困難を暫時忍んでほしい。もし赤沢村長にこの度行けなくても、星山近礼の村長の満期が明治43年9月であるので、その時は必ず相談にくるはずである。

  それとも一切村治の方を退き、耕次郎(長一の次弟)を相手に養蚕に従事しようかとも考えている。今年のように自家の桑の葉を以て足るだけの養蚕をしたなら、40日で200円位の利益が容易であるようである。その他の月日を農事に従事したなら、これまた村長の給料以上の利益が難しくないように思われる。

  ではあるが、他に学費を得る途はないか。大家の家庭教師とか、財産家と契約して学資を借りるとか、何かの補助を受ける見込みがないものか。1か月20円以上35円という大金ではとても今から卒業まで2か年継続して送金することは到底出来ないことである。よくよく考えてもらいたい。右用事まで、余は後便に申し残す。早々

  (追伸)新聞の継続送付するのも費用が困難であろうから、この場合止めてもよいであろう。経済の困難でやむを得ないことである」という内容。

  この手紙で、父長四郎は、彦部村村長選挙に敗れ、明治34年4月24日から2期継続した彦部村長を明治42年5月19日を以て退任したことが分かる。そして、新村長として、作山久治郎(屋号上谷地)に代わったのである。

  ちなみに野村長四郎は、彦部村助役を明治22年5月15日から24年7月24日までと、明治25年4月23日から29年4月22日まで務め、収入役(助役兼掌)を明治24年4月9日から24年7月11日まで務めている。

  このように永く勤めた彦部村役場を去ったのである。

  長一27歳、東京帝国大学法科大学3年。父長四郎53歳。翌明治43年8月3日、乙部村長在職中に死去するのである。

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