2009年 10月 15日 (木)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉74 望月善次 わが来る秩父寄居の

 わが来たる 秩父寄居の山の尖り 始
  原系なるとてさわ(ママ)な怒りそ
 
  〔現代語訳〕私が来た秩父寄居の山の尖りよ。始原系だからと言ってそんなに怒らないで欲しいものです。

  〔評釈〕「山に向へば」十首の五首目〔『アザリア』第三輯(盛岡高農アザリア会、大正六年十月十七日)〕。嘉内たちは、大正六年の七月二十三日から、「秩父・甲斐・諏訪」方面に「地質旅行」を行った。その概要は、同月中に歌稿『秩父始原層 其他』にまとめられたが、以下その中からの作品が続く。『(企画展示/監修・解説=萩原昌好)埼玉秩父と賢治』(宮沢賢治記念館、1994・4)によれば、当時、秩父地方は「地球の窓」と言われ、「地質学発祥の地」でもあった。盛岡高等農林でも、この地への調査旅行は続けていて、嘉内は、前年賢治からの「はるばるとこれは秩父の寄居町そら曇れるに毛虫を燃す火。」〔大正五年九月五日書簡〕を受けてもいる。寄居は「一般に秩父地質調査旅行の第一歩とされているところ」〔同上〕だが、もう作品の具体に及んでいる余裕がない。
     (盛岡大学学長)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします