2009年 10月 17日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉130 岡澤敏男 嘉内への「恋愛」を超えて

 ■嘉内への「恋愛」を超えて

  今日は日直で学校に居る
  早く帰って会ひたい
  いま私の担当箱の中のく
  らやみで
  銀紙のチョコレートが明
  滅している
      第五綴の先駆稿

  賢治が小岩井発午後2時56分に急いだのは堀籠に会いたいためで、彼は日直で五時まで学校に居るはずでした。「烈しい白びかり」の折伏を恐れ賢治と距離をおく堀籠に「銀紙のチョコレート」を用意して嘉内の二の舞いにならぬように気遣ったのでしょう。「第五綴」の堀籠の挿話は余談にみえるが決してそうではなく、その底流に嘉内との苦い別れを隠喩(ゆ)させているのです。

  賢治は嘉内と盛岡高等農林学校の自啓寮で同室となったのはまさに奇跡的な邂逅(かいこう)だった。文学への情熱、トルストイ的宗教観、花園農村への理想に燃える嘉内に接した賢治は、父の掌から抑制された自我を解放することになった。

  同人誌『アザリア』での短歌競作、小岩井農場や七つ森への散策、頻繁な文通(嘉内宛の賢治の手紙72通が現存する)、とりわけ松明の火花を散らしながら登った岩手山での銀河の誓いは、賢治と嘉内の友愛の象徴でした。こうした友愛の絆(きずな)も昨年7月の上野図書館における宗教論(法華経入信の折伏)によって断たれ「つめたく最后のわかれ」を交わすことになったが、嘉内への愛恋をきっぱりと断ち切れぬ残滓があった。それが「強迫観念」となって賢治の魂魄を引き裂いたのでしょう。

  パート一からパート六(第六綴)まで頻繁に出現していた「黒の映像」(強迫観念の隠喩)は、パート六の松林で雨の禊をうけてからパート七で二点〈黒い羅紗、くろい外套の男〉、パート九では一点〈馬はぬれて黒い〉に減退します。この現象は強迫観念から脱却(魂魄合一)して新しい賢治の転生につながると同時に嘉内への恋愛を清算した意味にも通じるのです。
 
  もしも正しいねがひに燃
  えて
  じぶんとひとと万象とい
  つしよに
  至上福祉にいたらうとす
  る
  それをある宗教情操とす
  るならば
  そのねがひから砕けまた
  は疲れ
  じぶんとそれからたつた
  ひとつのたましひと
  完全そして永久にどこま
  でもいつしよに行こうと
  する
  この変態を恋愛といふ
        パート九
 
  二行目に「自分と人」とあるのは「賢治と嘉内」を指すことは嘉内宛賢治の手紙(大正10年1月30日)の文面から推察されます。それは「曾つて盛岡で我々の誓つた願 我等と衆生と無上道を成ぜん、これをどこまでも進みませう」と述べた文面のことで、「万象といつしょに至上福祉にいたらうとする」との詩章とよく共通するのです。

  しかし「そのねがひから砕けまたは疲れ」てしまった嘉内の「たましひ」と「どこまでも一緒に行こうとする」ならば、それは「宗教情操」ではなくて単なる「恋愛」感情に過ぎないと断定し、ひとり無上道(仏の道)を進む決意をしたのです。

  その決意をパート九の最終行に〈わたくしはかつきり道をまがる〉と表明し、「小岩井農場」の二十数キロの長い道程をしめくくったのでした。

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