2009年 10月 19日 (月)

       

■ 〈風のささやき〉10 重石晃子 10月の憂うつ

     
   
     
  散歩の道に、コスモスの花が咲いているのを見つけて、今年もまた秋がやってきたと思う。

  紅葉にはまだ早いが、ピンクや白のコスモスの花が、風にゆらぎながら咲きそろう風情は、何とも清々しく長閑である。

  暑い夏の間は、9月に開かれる展覧会制作で夢中に終わるのだが、10月は鬱々(うつうつ)として落ち込み月である。なぜなのか自分でも良く分からないが、一つの大仕事が終わった開放感と自分の絵に対する反省が、大いにあるのだろう。毎年決まってその繰り返しである。

  一年に四季があるように、人の体にもバイオリズムがあるのだと思いつつ、何もせずに一日が終わる。

  自分の気分とは別に、お天気は上々、空は青く高く晴れ渡り、雲に覆われていた岩手山がくっきりと姿を現す。我が家の2階の窓からも、まるで額縁に入れたように岩手山が見えて、雲とのコラボレーションの美しさについ絵筆をとる。

  しかし絵の具を塗りこみながら、自分の感動とは違う、ちがうと、ぶつぶつ言ってしまうのだ。

  生来不器用にできているのだから、絵描きになったのは間違いかも知れない。今さらに後悔しても仕方がないのだが、不器用さのおかげで何度塗り直し、やり直ししたか知れない。

  「それは絵画の基本を、自分の体に染み込ませることになっているのよ」と恩師の深沢紅子先生はおっしゃってくださったが、私は技術の巧みさ指先の器用さには、永遠の憧れを持っている。しかし、私の身の回りにも器用な絵を描く人はたくさんいるのだが、本当に心を打つ絵にはなかなかお目にかかれない。

  絵とは何だろう、絵はやはり技術だけではない。その人だけが持つ感性とイメージを磨いてこそ、技術は生きるのだろう。現代美術の抽象的ジャンルとは全く違う、後ろ向きの私の仕事だが、向上心に支えられてここまで来た。

  10月の憂鬱は次のステップのために、神様が用意してくださった空間かもしれない。楚々(そそ)として弱そうなコスモスはしっかりと根を張ると聞く。己を見つめ直す時であろう。
(画家、盛岡市在住)

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