2009年 10月 20日 (火)

       

■ 〈イタリアンチロルの昼下がり〉81 及川彩子 「日本国民に祝福を」

     
   
     
  この夏盛岡に帰省した折、子供たちと石巻市にある慶長使節船ミュージアムを訪ねました。この使節団の足跡が、イタリアにも残っているので、その歴史的背景を知りたいと思っていたからです。

  ミュージアムには使節船の実物大モデルや、映画を見ながら命がけの船旅を体験できる施設もあり、親子で楽しめるものでした。

  今から400年ほど前、伊達政宗は、仙台でのキリスト教普及を許す代わりに、スペインなどとの通商条約を交わすため、支倉常長らの使節団をローマ法王のもとに遣わしました。

  太平洋を横断してメキシコ、その航海は3カ月間に及びました。さらに大西洋を超えてスペイン、そしてローマ近郊の港町チビタヴェッキアへたどり着いたのです。

  スペインでは闘牛見物、ローマでは大行列するなど、どこへ行っても黒山の人だかり。食卓では刀で肉を切り、箸(はし)で食べる…その一挙一動が、西洋人を驚かせました。

  けれども歓迎とは逆に、ローマ法王への謁見(えっけん)がかなったのは出帆から2年後。結局、条約を執りつけられぬまま帰国するのですが、時代は変わり、祖国ではキリスト教禁止令により、多くの信者が殉教していたのです。

  常長が夢を抱いて上陸したチビタヴェッキアは、巡礼の町として知られ、郊外に「血の涙を流すマリア像」があり、訪れる人が絶えません。また、小さな教会には、イタリア唯一の日本人殉教者の壁画があります。

  壁画のマリア様は黒髪に着物姿、信仰の自由を奪われ、磔刑(たくけい)にされる日本人信者たち(写真)、信者の頭上に輝く金の輪は聖者の印、使節団の船らしき大型船も描かれています。

  「神を愛し、命を捧げた日本国民に祝福を」と添えられたメッセージは、この国に住もうとする私の心に強く残りました。

  出帆の地・石巻の月浦海岸で水平線を見つめる常長の像。ここから、イタリアと日本の歴史の扉が開かれたのです。

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