2009年 10月 25日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉16 丸山暁 焚き火だ焚き火がなくなった

     
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  「サザンカ、サザンカ咲いた道 焚(た)き火だ焚火だ落ち葉焚き…北風ピープー吹いている?」そんな童謡がぴったりくる季節がもうすぐやって来る。

  夕日が赤く染まった学校の帰り道、どこかの、ちょっとした広場や庭先では落ち葉を集めて焚火をやっていた。その近くを通ると「あたっていきな」と声がかかり、お腹と背中を暖めて、また家路を急いだものだ。焚火は、体と心を暖めるちょっとした和みの場、社交の場であった。

  わが家ではこの時期、何度かクリのいがを集めて焼くが、近年焚火がほとんど見られなくなった。特に都市部、田舎の住宅地からもまったく消え去った。

  それもそのはず、今の世は、焚火はご法度である。家庭でのゴミ焼きは懲役刑で50万円以下の罰金だとか、恐ろしい世の中になったものだ。環境・防火上の問題だと、お上にも一理あるが、本音を言えば、家庭の庭先や公園で落ち葉を集めての焚火ぐらいは大目に見てほしいものである。

  ちなみに、僕の暮らすような山里では、農作業で発生する自然循環系ごみの焼却は容認されている。まして、膨大なクリのいがをごみ袋で出したのでは、袋が破れていくつあっても足りない。

  火は人間にとって、人間が人間になるための最も古い文明の利器であり、心・思想の源の一つである。人間は、2足歩行により手が自由になったことと、火を手に入れ暗闇の恐怖を克服し、食べ物を煮炊きして養分の吸収をよくしたことで、飛躍的にこの地にはびこった。

  ギリシャ神話では、人間に火を与えたプロメテウスが、最高権力者ゼウスの逆鱗に触れ、巨岩に鎖でくくられて、鷲に臓物を食いちぎられ生きつづけるはめに陥った。すなわち火は神の特権であり、人間は神の力をも手に入れ、文明を高度化しごう慢にもなった?

  そんな火は、人間の情熱をかき立て、炎の揺らぎは心を慰めてもくれる。火に接することは人間にとっての本能といえないだろうか。そんな火や炎だが、最近はとんと日常の暮らしから遠ざかった。焚火の禁止、グラウンドでのキャンプファイアーも見られなくなった。さて、現代人は火への憧れ・本能をどこにぶつければいいのだろうか。

  今という時代、火だけではなく人間の本能、根源的な欲求を理性的に制御・抑圧することで、社会の平穏を保っているともいえる。確かに、社会的にはそれも必要だろう。しかし、人間の本能や根源的欲求は個人的には、どこかで開放、満たされなければ、いずれゆがみがでる。恋の火遊びも年をとってからは危険であり、加熱して熟年離婚、刃傷ざたに陥ることもある。

  火に限らず人間の本能は抑制するだけではなく、適度に解放する必要がある。火のように個人で無理なら社会の仕組みの中にそれが必要になってきたのではないだろうか。現実の火遊びも恋の火遊びも危険が伴う。火の用心の季節です。(丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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