2009年 12月 2日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉153 伊藤幸子 見舞妻

 ビニールの防護衣を着てマスク付け目と眉のみのわが見舞妻
君島 誠
 
  病気の作品を読むのはつらいが、ここまで客観的に詠まれると、あたかも他人の闘病ノートかと思ってしまう「頸椎の手術(オペ)終へていまおもふこと死の淵に近くありけむ」「リハビリの腹式呼吸拙きをピイピイピイと器機が叱る」ことし7月、所属誌の巻頭に見て案じていたところ、翌月号に「ゆつくりと大きく腹で呼吸(いき)しをり呼吸リハビリがいま主戦場」他4首、そしてお名前の上には「故」と冠されてあった。生きて最後の締切日にアナをあけることなく作品を送るというその行為に打たれる。

  身体に痛みや不具合が生じると、意志の弱いわたしなどはすぐ音をあげる。奥さんが防護衣を着て入室するという重態時であっても、どこかユーモアさえ感じさせる歌柄がすごいところ。かくまでに「取材」の神経をはりつめて、メモをとり推敲を重ねてゆく姿勢、そして織細なブルーブラックのインクの文字に精魂をこめる。

  作者は大正13年生まれ。茨城在住で平成7年に出された歌集「鳥跡」によれば昭和40年代化学繊維工場建設のためユーゴスラビアに渡られる。「BBCの日本語放送を捉へ得ぬラジオを切りて友は寝につく」「セルビヤの一青年が狙撃せし街角の位置に残す足形」というような作品群を見ると、日本の勇猛な企業戦士たちの活躍が思われる。苛酷な気象条件や情報言語、物流の就航システムも完備されていないような中で、どれほど苦労されたことだろう。

  でも、こんな楽しい歌もある。「飢ゑつづく日々の慰(なぐさ)と唄はしし〈東京ラプソディー〉忘れずいまも」詞書に「海軍軍属増永丈夫氏すなわち藤山一郎氏」とあるように、氏の回想に生の声を聴く。「終戦時、私は陸軍技術少尉で中部ジャワの油井に居た。終戦後、獄中に抑留されたが、海軍軍属であった歌手の故藤山一郎氏と一緒だった時期もある。南国の満月の夜、獄舎の中庭で氏が唄って下さった〈東京ラプソディー〉を忘れることができない」。

  夫人も同門で「いそいそと門を出づれど向ふさき病む夫重くせまる現実」は掲出歌と一対の相聞の趣。「死とは何生くるとは何からからと笑ふ写真の実にいい顔」歌集最終ページのこの歌は、作者の自画像詠と受けとめている。

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