2009年 12月 5日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉137 岡澤敏男 時計の針に左右される現代

 ■時計の針に左右される現代

  第2章の終わりで赤シャツの男は自分の腕時計を見て不思議そうに「今度は合ってゐるな」とつぶやきました。それは農夫室の柱時計が15分進んでいたことを気にしていたからで、昼の時鐘が腕時計と同じく12時に「カラン、カラン、カラン」と鳴ったので「合ってゐる」とつぶやいたのです。

  もう一つ不思議に思ったのは時鐘が鳴る前に「俄にピタッと玉蜀黍の粒の落ちてくるのがとまって」脱粒機が昼を予感したことでした。もっともそれは脱粒機ではなくて、農夫長が昼を予感してモーターのスイッチをきったのです。農夫長は腕時計はなくとも、長年の体験から正午を予感できる〈体内時計〉をもっていたのでしょう。そして、いよいよ赤シャツの男と農夫たちとの時間の葛藤を描く童話の核心へと移っていくのです。

  第3章は、昼休みもあと少しで終る「午後零時五十分」からスタートする。農夫たちは食事が済み農夫室の火を囲みくつろいでいる。そのとき時計ががちっと鳴るのです。

  農夫長は「さあもうぢき一時だ、みんな仕事に行って呉れ」とうながします。すると赤シャツの男が腕時計と柱時計とを見比べ「腕時計は一時五分前なのに、その大きな時計は一時二十分前」であることを確認し〈変だな〉と思ったのです。

  変だなとは、農夫長は「ぢき一時だ」と言い時計もたしかに「がちっ」と鳴ったのに、時計の針は〈二十分前〉だったからなのです。

  男は〈今朝は十五分進み、昼は合っていて、今度は十五分おくれている〉と、「蒼白いつるつるの瀬戸でできてゐるらしい立派な時計の盤面(ダイアル)」をぼんやり見やり、どうも立派な時計にしては盤面の針の動きが進んだり遅れたりチグハグするのを不審に思ったのです。

  すると、この様子を見ていた誰かがクスッと笑い、続いてみんなもドッと笑ったのです。そういえば今朝も同じ場面が描かれていました。新入りの赤シャツの男が自分の腕時計と農夫室の柱時計を見比べて「あいつは十五分進んでゐるな」とつぶやいて腕時計の竜頭を引っ張り柱時計に針を合わせようとしたとき、それを見ていた「子供の百姓が俄にくすりと笑い」、つづいて「みんなもドッと笑った」あの場面です。

  赤シャツの若い男はきまり悪くなり急いで戸を開けて脱ぷ舎へと出て行きました。すると「みんなの気のよささうな笑い声」にまじって「あいつは仲々気取ってゐる」とか「時計ばかり気にしてゐる」と批判めいた声も聞こえてきました。

  ここにおいて、賢治は時計の針の動きを名目にして農夫たちと赤シャツの男の「時間」に対する観念(もしくは習慣)の相違を指摘しているのです。

  前者にあっては時間とは仕事(始業↓昼の休憩↓終業)の指標であり、後者にとっては時間とは仕事を構成する単位とみなしているのです。農夫たちの体には「時間」が刷り込まれており、仕事の指標がほぼ予感されるので腕時計などは不要で、まして時計の針の遅速など気にはならないのです。

  だが赤シャツは違っていました。前任地が陸軍省の軍馬補充部六原支部だったので「時間」の規制がやかましく、万事が時間の単位で仕事を行ってきたのです。このような両者の時間観念のおかしさにこの童話の見どころがあるけれども、自然の時間に対する人間の能力が時計の針に左右される現代の危うさを賢治は暗示したのかも知れません。


 ■ 〔ま青きそらの風をふるはし〕
              (文語詩未定稿)

ま青きそらの風をふるはし
ひとりはたらく脱穀機
 
  R|R|r|r|r|r|r|r|r
脱穀小屋の庇の下に
首を垂れたる二疋の馬
 
  R|R|r|r|r|r|r|r|r
粉雪おぼろにひかりたち
はるかにりりと鐘なれば
うなじをあぐる二疋の馬
華やかなりしそのかみの
よきギャロップをうちふみて
うまやにこそは帰り行くなれ


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