2009年 12月 6日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉22 丸山暁 穴蔵への郷愁

     
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  数日前、白菜を収穫し、わが家自慢の半地下の室に収めた。室の白菜は、奥のものは少々傷むが、来年の3月ぐらいまで甘さを増し、みずみずしい状態を保っている。

  僕がこの地に来た17年前のある日、玄関前の斜面を見て、突然何かに憑(つ)かれたように無性に穴を掘りたくなった。スコップと小さなピック(小型のツルハシ)を手にして、毎日十数aずつ掘り進み、数ヶ月かけて、底面の直径1.5b、高さ1.5b程度のドーム状の横穴を掘りあげた。大人1人しゃがんで入れる程度の広がりがある。

  この赤い扉は2代目、最初は赤と青のストライプの扉だったが、4、5年前に朽ちてがたが来たので新しい扉に作り変えた。以前は、杉の丸太に防腐剤を塗った枠だったが、今度は、腐りにくい栗の丸太で枠を作ったから、きっと、あと5、6年は持つだろう。

  崖や土手を見るとなぜか無性に穴を掘りたくなる。子供時代、むきだしの崖に出合うと、たいした道具も使わず、その辺の棒っきれやとがった石で、よく横穴を掘ったものだ。子供の遊び仕事では大きなものは掘れないが、体半分やっと隠れるようなものでも、そこに身を隠すと、なんだか大地、母の胎内に抱かれたような安らぎを覚えたものだ。

  こういう感情は子供だけではなく大人にもあり、人類の歴史に刻まれた本能ではないかと考える。猿人から進化した人類が、樹上から地上に下りて、寒さをしのぎ、動物の攻撃から身を守った最初の空間が自然の洞窟(どうくつ)だった。洞窟こそが人類が最初に手に入れた、床・屋根・壁があり出入り口(窓)を持つ安らぎの空間、すなわち住宅の原型であった。

  わが家から数`上流に、アバクチ、風穴という洞窟があり、旧石器時代の住居跡ではないかと数年間調査が入ったことがある。結局、旧石器人の痕跡までは出てこなかったが、弥生人の子供の全身骨格が出て、「やよいチャン」だったか「アバクチ君」だったか命名され、ちょっとした騒ぎになった。そのときは静かな谷間に車が行き交った。

  洞窟が人間の根源的居住空間として郷愁をそそるとしても、めったやたらに掘れるものではない。僕のように崖を見ればやたら穴を掘りたくなる人間はそう多くはないかもしれないが、毎年のように子供たちが穴を掘って崩れる事故が報道される。気をつけよう。

  大地は母の胎内のように優しくもあるが、うかつに傷つけると時には牙をむく。やはり小さくても大きくても穴蔵掘りは専門家に任せておいた方がいい。ちなみに僕は大学でトンネル工学を学んでいるので、自分で掘ってもいいのではないかと思っている。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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