2009年 12月 27日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉103 小川達雄 秋田街道を行く8

    七、悪路
  道はやがて、秋田街道の名だたる悪路にさしかかる。

  「道が悪いので野原を歩く。野原の中の
  黒い水潦(ミズタマリ)に何べんもみん
  な踏み込んだ。けれどもやがて月が頭の
  上に出て月見草の花がほのかな夢をたゞ
  よはしフィーマス(注、腐葉土)の上の
  水たまりにも象牙細工の紫がかった月が
  うつりどこかで小さな羽虫がふるふ。
 
  けれども今は崇高な月光のなかに何かよ
  そよそしいものが漂ひはじめた。その成
  分こそはたしかによあけの白光らしい。
 
  東がまばゆく白くなった。月は少しく興
  さめて緑の松の梢に高くかかる。」
  この街道について、大正四年八月九日、岩手山登山の北白川宮に随従した陳貞光は、こう記した。
  「〜悪路に荷馬車、動揺の烈しさ迚(ト
  テ)も御話にならず昨夜一睡もせざりし
  為め思はず眠れば誰にか拳骨でいやと言
  ふほど殴り付られし様な気持で吃驚(オ
  ドロク)、目醒(サム)れば是なん荷馬
  車の掾(エン)でしただか頭部を打付た
  る時なり」(小原兄麿編『巌手山記』)

  大正七年の『最新案内モリオカ』にも、秋田街道は悪路と記していたから、それは驚くばかりのひどい道だったに違いない。

  しかし賢治は、道を避けて野原を歩き、その黒い水たまりには何べんも踏み込んだものの、〔不良少年〕の覚悟があったせいか、音をあげてはいなかった。それはやがて月が出て月見草の花が開き、水溜まりにも紫の月光が映えていたからである。賢治にはその道がひどければひどいほど、一方では美しい情景が浮かんでくる、ふしぎな感覚の世界があった。

  「どこかで小さな羽虫がふるふ。」というのは、新たな生命の動きを伝える、脇役の登場である。そして暁の訪れとともに、賢治たちが行く野原の主役、象牙細工の月も、次には太陽へと、その役を譲ってゆく。賢治は月光のこまかな成分の変化から、しだいに夜明けへと変化してゆく、大自然のドラマを感じ取っていた。

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